人間は誰でも不安を抱えていて、これを消してくれる人を求めている。
そして、一時的に不安を忘れさせてくれる人を英雄にしてしまう。
あるいは、不安を解消してくれそうなことを言う人を一時的に崇める。

ある人は不安など本当は存在しないという。
それを示すのに、ちょっとうまいことを言う人は「いくらでも」いる。
一休さんは、絵の中の虎を捕まえるよう言われ、「では、誰かこの虎を絵の中から追い出して下さい」と言ったという話がある。本当にあったことかどうかは知らないが、なかなかオツムのよろしいことだ。
これの真似をして、「あなたの不安をここに出して下さい。私が消してあげましょう」などと言って、「悦に」入っている者がいるかもしれないが、それは、相談者を困らせるか、怒らせるだけだろう。
虎の絵ならともかく、幽霊の絵であれば、追い出せなくても、精神的には「エラくマジで」存在する。
不安も同じく、精神的なものだ。誰が何と言おうと存在する。

もっとオツムの良い「センセイ」なら、「不安を持っているのは誰ですか?」と尋ね、相談者が「私です」と言うと、その「私」は、本当は存在しない、ただのイメージでしかないと言う。
だが、イメージは存在しているのだ。
賢者は、「私、あるいは、自分は何かと問い続ければ、それは存在しないと分かり、消えてしまうのだ」とか言うが、10年続けたって消えない方に百円賭けよう。そもそも、そんなこと3日も続かない。

またある人は、「なるようにしかならない。しかし、なるようにはなる。なんとかなるぜ世の中は」なんてことを言うが、なんともならないし、なるようになっちゃ困るんだ。
さっきの、幽霊の絵のことを考えてみたまえ。
「なんとかなるぜ」とか言って、絵の中の幽霊の実体に祟られたら、なんとかなるどころか、どうにもならない。
「誰が祟られるのですか?」なんて誤魔化そうとしたって、「俺だ!俺だよ!」って言われて収拾がつかない。
迷子の子猫はキャンニャンニャニャーと泣き、犬のお巡りさんは、困ってしまって、ワンワンワワーと鳴くしかない。

だが、こう話しているうちに結論が出たことになる。
つまり、不安で仕方がないというのは、迷子の子猫と同じで、心が幼いのだ。
そして、犬のお巡りさんは知恵がない。
「不安を出してごらんなさい」だの、「不安に思っているあなたは本当は存在しない」だの、誰かの真似をしている者は知恵がないので、少しも不安を消してあげられないばかりか、滑稽なことに、自分も一緒に不安になっているのだ。

さて、結論だ。
「不安に耐えて心を鍛えよ」
である。
他に道はない。
不安があるなら、とても良いことだ。
早速、訓練が提供されたのだから。この上ない配慮で不安を差し出してくれた神には感謝せねばならない。
不安に黙って耐えることだ。
他に何ができるってんだい?
いつ頭の上に原爆が落ちてくるか分からないなら、その恐怖に黙って耐えることだ。
心ってのは、筋肉より精妙で、ちょっと鍛えれば、あっという間に強くなる。
だが、筋トレには熱心でも、心のトレーニングを誰もやらない。やり方を知らないということもあるのだけれど。
心を鍛える方法は、痛みに耐えるということだ。
孤独が辛いなら、孤独に耐えることだ。
愛を失うことが恐ければ、愛を失うことに耐えることだ。
効果は絶大だ。この手の訓練には、天使が直接サポートしてくれるのだからだ。
つまり、これが天使に会う真実の方法である。

USSエンタープライズ号の船長ミスター・スポックのところに、かつてこの船の船長で、その当時はスポックの上司だったジェームズ・カークが来て辛そうな顔をする。
スポックは穏かに言う。
「カーク、あなたが船長を務めて下さい」
カークが「しかし・・・」とためらうと、スポックは、
「バルカン星人に面子などないのです」
と平然と言った。
しかし、きっと、本当はスポックにも面子はあるのだ。でなければ、そんなことを「カークのために」言ったりはしない。
だが、彼は心を鍛えて、面子にこだわることを克服したのだ。
その報酬は計り知れないほどであったはずだ。









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