誰しも、年齢と共に、「自分は進歩した」と感じる。
しかし、それは誤解でしかないかもしれない。
「いや、幼い子供の時や、苦労知らずの学生の頃よりははるかに上だ」と言うかもしれないが、子供には子供の、若者には若者の良さがあり、トータルでいえば、確実に堕落しているのである。

プロ野球の監督は40~60代が多いが、彼らは優秀だから監督をやっているのではなく、優秀でなくなったから監督なのだ。
昔、監督だった長嶋茂雄さんに、「監督の采配が勝利をもたらすことはどのくらいありますか?」という質問がされた時、彼は、「それは全くないですね」と即答したそうだ。
だが、それは本当は言ってはならないことだったのだろう。世間では、真実を言うのはタブーだ。
彼は監督になったばかりの頃は、非常に優秀だったから、戦力の割に勝てなかった。しかし、やがて優秀さを隠すことを覚え、さらに、本当に優秀でなくなった時には、かなりの監督になった。
そうだ。監督というのは、「勝ちに影響を与える」ことはないが、「負けに影響を与える」のだ。
野球監督が本を出せばよく売れるらしいが、そんなものを読む馬鹿さ加減を知った方が良い。それらの本の表紙には、最も間抜けた男の顔が見えているはずなのであるが・・・

ジョー・ジラードという、史上最高の自動車セールスマンだった男が、最高の名言を残している。
「誰でも優秀なセールスマンとしてスタートするのだ」
彼と同じフルコミッション(完全歩合制)のセールスマンを2年やった私には、笑い崩れるほどの真理であることが分かるのである。
そして、ジラードも今は優秀でない。今の彼の本を読む時は、彼の今の主張ではなく、昔の残光を見るよう務めるべきである。
そして、それはセールスマンだけではない。
どんな仕事でも同じなのだ。
では、ピアニスト等の演奏家の場合はどうだろう?若くて未熟な時より、経験を積んで磨き上げられた時の方が良いはずである。
しかし、それも差し引きだ。芸術というのは、ステージの上だけの問題ではない。
練習を始めたばかりの、純粋に無心で弾いていた頃の演奏を、神は最も好むのである。自分の下手さ加減を嘆きつつ、それでも賢明に弾く姿が最上の芸術である。
また、政木和三さんのように、ほとんど完全に無になれれば、練習を一度もしたことがなくても、最高のピアノ演奏ができる。
ある画家が、やはり不意にシンセサイザー演奏をするようになったが(やはり練習をしたことはない)、私は、彼が演奏旅行をしていた時に逢ったことがある。私は彼に、「私もアーチストになりかたかった」と言ったら、彼は、「一瞬でなれますよ」と言ったのだった。

『方丈記』の著者鴨長明は、54歳までエリート文化人として過ごしたが、世間や自分がすっかり嫌になり、山の中の小屋で自給自足の慎ましい生活をして、聖者のような生き方を始めた。実際、彼は、自己の穢れを祓い、神仏に近付きたかったのに違いないと思う。
しかし、それから数年経ったある日、長明は、自分が以前と全く変わらない煩悩具足の凡夫であることを思い知って愕然とし、絶望する。
いや、実際は、以前の出世争いをしていた時より、はるかに堕落していたはずなのだ。

人間は年を取るほど、進歩ではなく退化するのである。
ただし、子供や若者が、「そうだ、俺たちは年寄り共よりずっと上なんだ」」と思えば、たちまち老人以下になる。そして、その後の堕落しかない運命を考えれば、彼らに居場所はない。

人間は研究者でなければならない。
いや、実際に研究者だ。
何を仕事にしているとしても、それは、自分の心を通して行っているのであり、ただ、心を研究しているだけである。
ならば、もっと、心の研究者であることを自覚し、時と共にそれが劣化していることに早く気付くことだ。
そして、全てを、自分の心を超えた見えない存在に委ねてしまえば、心の問題は何でもなくなる。
それに気付いた法然や親鸞の結論が、ただ念仏を唱えることであった。
上に述べた、絶望した鴨長明の口から不意に、自然に出てきたのも、「南無阿弥陀仏」の念仏であったのだ。

政木和三さんの最上の書の1つである『精神エネルギー』が、Amazonで比較的安価に多数出品されているのを見たので、下にご紹介しておく(普段は5千円以上が普通と思う)。良ければ入手をお薦めする。









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