「最近、どうもツキがない」とか、「悪いことが続く」と思うことがあるかもしれない。
確かに、この世において、良いことばかりが起こることはない。
しかし、まるで目に見えない何者かが、自分が得に嫌だと思うことばかりを、まるで意図的に起こしているのではないかと思うこともあるかもしれない。
いわゆる、心が後ろ向きになっている時に、そんなことがよくある。
悟りを開いた人間でもない以上、そんなことは、度々起こるだろう。
それは苦しく不快であり、下手をすると心がどんどん陰鬱になって、人生は暗いものになっていく。
では、自分が不運続きで、良いことが何もないとしか思えない時はどうすれば良いのだろう?

本当は、どんなことが起ころうが、それを、起こるがままに任せて、そのまま受け入れるのが良い。
無論、現実的対処というものは必要である。
怪我をしたら手当てしないといけないし、トラブルに対しては、できるだけ賢く対処しなければならない。
しかし、心においては、抵抗してはならないが、そこが難しい。

大難を小難とし、小難を無難とするには、2つの方法がある。
1つは、最悪を覚悟することだ。
嫌われたくない人に嫌われそうなら、嫌われたと諦めることだ。
失敗したくないことに失敗しそうなら、失敗を覚悟することだ。
会社をリストラされる不安に怯えているなら、リストラされるものと決めてつけてしまうのだ。
すると、不思議な安らぎ、不思議な落ち着きを感じるようになる。
ただし、本当に諦め、本当に覚悟しなければ駄目だ。表面的に諦めたつもり、覚悟したつもりでも、神の目は誤魔化せない。

もう1つの方法は、自分の信じる神仏に全てを任せることだ。
『バガヴァッド・ギーター』で、至高神クリシュナは、「ただ我のみ拝め。我のみ愛せ。そうすれば、我も汝を愛する。一切を我に委ねよ。そうすれば、我が汝を守る」と言ったというのは間違いではない。
法然は、『選択本願念仏集』で、「ただ、阿弥陀如来のみを想え。そうすれば阿弥陀如来は汝を想う。ただ、阿弥陀如来のみを礼拝せよ。そうすれば、阿弥陀如来はそれを見る。ただ『南無阿弥陀仏』と念仏を唱えよ。そうすれな、阿弥陀如来はこれを聞く」と述べた。
そのように、心を1つに決め、至高の存在に頼りきった時には、奇跡は必ず起こる。

最初の方法に関する最良の参考書は、『ノストラダムスの超法則死活の書』である。ノストラダムスの予言が外れたと思っている人が多いかもしれないが、本当は全部当っているのである。そして、普通の人には、こちらのやり方の方が、まだ理解しやすいかもしれない。
後の方法に関しては、もちろん、『バガヴァッド・ギーター』と『選択本願念仏集』という聖典が最も優れた教えである。できれば何度も読んで、魂から納得すれば、いかなる不安や困難も永遠に去るであろう。

そして、起こること一切を受け入れる無為自然の境地になれば、あなたが傷付いたり、損害を被ることは決してない。
これに関しては、『老子』に学ぶと良いと思う。
ただし、ひたすら無心に念仏を唱えるなら、その他の一切は不要である。









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