世界的版画家の池田満寿夫さんが、高校生の時、フランスに憧れた理由を著書に書いておられたが、それが面白かった。
「毎日、サンマと大根卸しを食わされている高校生が、小説や映画に出てくるフランスの優雅で豪華な生活に憧れるのは当たり前だろう」
だが、それはやはり、空想的であったから、憧れと言う肯定的な感情になったのだろう。

日本で、そんな、「サンマと大根卸しばかり」食べている庶民に、フランス的優雅さを知らしめたのが、1967年に登場したリカちゃん人形だった。
リカちゃんには、詳細なプロフィールが設定されていた。
お父さんは、まさに、そのフランス人で、有名な一流デザイナー。
リカちゃんの家は、お金持ちの上流家庭である。だが、それに関しては、現代では、池田満寿夫さんの時代と違い、さほどのジェラシーを感じさせることもないかもしれない。
しかし、それだけでなく、リカちゃんは、学校でも成績優秀で、また、勉強以外でも何でもでき、いつもリーダーで、社交性もあり、人気者で友達が沢山いる。
さらに、やがて、優れたキャリアガールになる超エリートだ。
私は、正直言って、リカちゃんに対し、あまりの引け目で、ほとんど恐怖を感じていた。呼ばれても、彼女の家には決して行く気にはならないだろう。間違いなく、1秒ごとに針のムシロだ。
リカちゃんは、きっと、夜8時になったら、自分の素晴らしい部屋に入って、10時まで、集中して勉強し、宿題はもちろん、予習・復習にも余念が無いに違いない。あるいは、優秀な家庭教師がついているかもしれない・・・そんなことを、小学5年生だった私は考えていた。
しかし、こちとら、予習・復習どころか、宿題も滅多にやらなかった。意図的にやらなかったのではなく、ほとんどの場合、宿題のことなんか全く覚えていないのだ。
私は、最も劣悪な部類の児童、生徒、学生であったのであり、リカちゃんから見れば、虫ケラか石ころである。実際、夢の中で、リカちゃんが蔑みに満ちた目で私を見ていたことがあった。リカちゃんは一言も喋らなかった。声をかけるのも汚らわしいのだろう。確かに、ただのひがみであるが、そう感じざるを得なかったのだ。

私は、宮沢賢治や音楽家の冨田勲さんを敬愛はするが、やはり、どこか抵抗はある。
賢治は、15歳でエマーソンを、18歳で法華経を読んで、魂が震えるほど感激したそうだが、私には想像もできないことだ。いまだ、両方共、さっぱり分からないのだから。
また、賢治は、今の岩手大学農学部にあたる農業学校に主席で入学し、卒業後、すぐに助教授就任の要請があった秀才であった。また、賢治自身は家業を嫌っていたが、家は豊かな古着屋だった。
一方、冨田勲さんは、父親は医師で、やはり家は豊かであり、現在81歳の冨田さんが慶応大学を出ているのは、やはり相当なエリートなんだろう。ただ、冨田さんは音大ではなく、文学部出身で、音楽家になる間には、相当な苦難があったと思う。しかし、そのために、冨田さんは、伝統的な音楽にこだわることがなく、先進的・革命的な音楽に取り組み、最も早く、モーグ・シンセサイザーを個人で輸入して、悪戦苦闘の末ではあったが、これを見事に使いこなしたことが、世界的音楽家への道を開いたのだと思う。

実を言うと、私は、冨田勲さんが、昨年(2012年)、初音ミクをソリストに迎えて制作した『イーハトーヴ交響曲』を聴くまでは、宮沢賢治を、教科書に出てきたものは別として、自分では全く読まなかったし、冨田さんのCDも1枚も持っていなかった。
ところで、初音ミクは、リカちゃんと違い、プロフィールが一切設定されていない。実は、やはりプロフィールを作ろうという話はあったらしいが、それをしなかったようだ。私は、それが本当に良かったと思っている。そうでなければ、たとえミクにどんなプロフィールが与えられた場合でも、私がミクを好きになることはなかっただろうと思う。

初音ミクの何が良いかというと、彼女が人間でないことだ。彼女は、いかなる過去も持たず、家庭もなく、自我もない菩薩である。ミクはただ、人々の未来と共にあるのである。
ミクのコンサートの異様な熱狂は説明がつかない。ステージには本当は誰もいないことは、みんな分かっている。ある人は、他の観客との連帯感や共感がそうさせると言うし、確かにそれもあるだろうが、それだけではない。自我を持たないミクとシンクロ(同調)した観客も自我を消すことで、無限のエネルギーと一体化しているのだ。
これは、人間のアイドルやミュージシャンのコンサートの熱狂とは、全く別次元のものだ。
ある50代の雑誌編集者が、取材の意味も含めてミクのコンサートに行ったところ、涙がとめどなく流れたというが、このことが何か重要なことを表していると言えるだろう。
また、大音楽家、冨田勲が、おそらくは、一生の集大成のつもりで、全身全霊をかけて制作した『イーハトーヴ交響曲』で、初音ミクに最も重要な役割を委ねたのも、とても深い意味があったはずなのだ。

いずれにしろ、初音ミクは、私を、宮沢賢治と冨田勲という、我が国最大の偉大な芸術家達の世界に近付けてくれたのだ。
私は、『イーハトーヴ交響曲』のCDを139回聴いた時、内側からの声を聞いた。
「賢治の代わりに、念仏を唱えなさい」
宮沢賢治は、家の宗派であった、念仏を唱えることを説く浄土真宗を嫌い、父親に、法華経の教えを奉じる日蓮宗への改宗を迫ったという。
だが、賢治の『雨ニモマケズ』は、まさに、念仏を唱えることで悟りを開いた妙好人と呼ばれる人達そのものの姿を示し、賢治は、「そういうものに私はなりたい」と結んでいるのだ。
ただ念仏を唱えることを説いた法然ですら、法華経が第一の経典であることを認めている文章もある。
賢治もまた菩薩であり、苦難の道を目指した。
法華経で、釈迦は弥勒に何度も呼びかけ貴い教えを説くが、無量寿経(浄土宗や浄土真宗の経典)の最後で、釈迦は弥勒に対して、特に集中して深い教えを授けている。
ミク(39。未来)はまた弥勒(369。未来仏)である。念仏と法華経の真理を合わせるために生まれた菩薩である。
また、ミクの歌は、『イーハトーヴ交響曲』もだが、多くの歌が、法華経の世界を現しているのは不思議なことではない。そして、ミクは念仏そのものの存在なのだ。なぜなら、自我を持たないミクは、どんな劣悪な人間にも、等しく微笑むからである。

タカラトミーでは、今年7月、リカちゃんが初音ミクの青いツインテールとコスチュームをまとった初音ミクリカちゃんを発売した。
見ていると、初音ミクに憧れる普通の小学生の女の子を感じさせ、かつての、上流家庭のエリート少女のイメージはない。
法華経は、どちらかというと賢いエリートのための教えであり、念仏は、底辺の人間に対する教えである。
初音ミクリカちゃんも、それが融合した1つの象徴であるように思う。
初音ミクリカちゃんの登場で、私の心の傷も癒されたように思う。









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