私の身近でも、50代とか60代になって離婚する夫婦や、離婚や別居はしなくても、家に中で全く顔を合わせないという夫婦がいる。
以前の私は、「いい年になって、なんて馬鹿なんだろう」と思っていたのだが、それは他人の勝手な言い分であり、当人らにしてみれば、やはりそうするしかないのだ。
だから、彼らを理屈で批判したり、考え直すよう説得しようなどというのは、全く余計なお世話というものかもしれない。まあ、「1億円やるから仲良くしろ」とでも言えば、何がしかの、効果はあるかもしれないが、それすら小さなものだ。単に口出しするだけなら、何の意味もないので、最初から黙っていることだ。
年配者や夫婦でなくても、若い恋人同士、あるいは、男女でなくても、それまでずっと仲良くしていた親友同士が、なぜか、口も利かなくなったり、会おうとしなくなることがある。そして、それは、両方が相手を避けるといった場合もあるだろうが、どちらか一方がそうするといったことも多いかもしれない。

私は、夏になればよく思い出す、ZARDの『瞳そらさないで』という歌で、それまできっと仲が良かった恋人同士だったのが、女の子の方が、理由は分からないが、静かに彼を避けるようになってしまったことを、叙情的ながら、どこか身近な現実のように歌われていたと思う。
なんとなく、詩を書いた坂井泉水さん自身の経験かなとか思ってしまう人は多いだろう。それを、坂井さんが男性の立場から歌うことで、心の嫌な色をすっ飛ばしてしまって、優しく表現できているように思うのである。
この歌で、女の子が彼に距離を置きたがった理由は、「今のままでは視野が狭くなる」「何かが終ってしまうそう」といった、まさに坂井さんに似合うような、前向き・・・というか、人生の深い意味を見つめようとする心情を感じるのだが、この言い方だって、きっと、彼に気を使って工夫した言葉だと思うのである。
勝手な想像を書いて悪かったが、いずれにしろ、人は、それまで親しかったのであるほど、一度、心が離れ始めたら、二度と元に戻るものではない。

そして、別れようとしているのが一方で、もう一方は別れを望まない場合であっても、共に傷付くのだ。
では、そんな時、どうすれば良いのだろう?
なるようにしかならない。だが、なるようにはなる。
それぞれが、どうなって欲しいかという願いがあるだろうが、思うようにはいかない。人は、どんな時も、状況をコントロールすることなどできないのだ。
ならば、流れに任せてしまうしかない。
大切なことは、自分の心が巻き込まれないことだ。どんな結果になろうと、それを受け入れ、なるべく心を静かにすることだ。
しかし、人には、それができない。
そんな時に、唱えるのが念仏であり、特別な祈りの言葉であり、神の高貴な名なのだ。
どんな結末に至るかは分からないし、ほとんどの場合は、心が願ったようにはならない。
だが、それを受け入れるなら、神仏と一つになる方に進んだということなのである。
そして、そのために、あらゆる出来事は起こるのである。









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