腕振り運動をしたり、神の名を唱えたり、念仏を唱えたりしているのに、なかなか良い思いができない人がいるかもしれない。
かといって、どこかにお布施や寄付をしても少しも良くはならない。まあ、良くなったら、お布施をしようという気持ちも起きるだろう。
無論、せっかちに利益を求める卑しい心根でもいけないが、本来であれば、初めに挙げたようなことをすれば、面白いこと、嬉しいことばかりになるはずなのである。
「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えると、仏も菩薩も、天の神、地の神も、竜の王やその配下の竜達も、さらには、魔王すら護ってくれるというと、現代人からすると、荒唐無稽過ぎて馬鹿馬鹿しく思え、笑う者も多いだろうが、順序立てて言うなら、極めて当たり前のことなのである。

さて、どうすれば、もっと楽しく、楽に生きられるようになるのだろうか?
また、私がいつも述べるように、もし、悪いことをしてしまったり、失敗して人様に大迷惑をかけても、それは避けることはできなかった運命なのだから、後悔する必要も罪悪感を感じる必要も全くないのだが、どうしても、落ち込み、いつまでもクヨクヨしてしまう。
そんなことでは、生命力を浪費して疲れてしまい、人生が楽しくないだろう。

どこから手をつければいいのだろう?
そこで、こんな話をしたい。
ちょっと昔、こんな農家のおじいさんがいた。
ある夜、自分の芋畑から、芋が掘られて盗まれていた。
すると、そのおじいさん、畑のよく見える場所に、鍬(くわ)を置いて帰った。
なぜかというと、芋は手で掘られていたようなので、そのおじいさんは、怪我でもしたらいけないと思ったのだそうだ。
そのおじいさんは、結構な金持ちで、立派な家に住んでいた。
そんな人は長者になることも珍しくないし、少なくとも、そこそこ豊かになるものだ。
しかし、無理に、このおじいさんの真似をしたって駄目だ。
世の中、世知辛く厳しい。そんなマネをしたら、生きていけない。
しかし、このおじいさん、毎日、熱心に「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えていた。そうしているうちに、自然に、そんな人格になったのだ。
そして、大事なことは、このおじいさんは、自分で念仏を唱えているとは思っていなかったということだ。
自分は、念仏を唱えさせてもらっていると思っていたのだ。
いや、そればかりではない。畑仕事をしていても、自分が畑仕事をしているとは思っていない。畑仕事をさせてもらっていると思っている。
誰にさせてもらっているかというと、念仏で呼びかけている相手である阿弥陀仏にである。
「南無阿弥陀仏」とは、「阿弥陀仏様、あなたに全てお任せします」という意味だ。
このおじいさんだって、怒ることはある。そんな時、「堪忍してやる」のではなく、「堪忍させてもらっている」と思えば、すぐに気が静まる。
怠けてぐーたらすることも多い。本人も自分が怠け者であることは自覚している。しかし、これすら、「ぐーたらしている」のではなく、「ぐーたらさせてもらっている」と思って、あり難いと思っているのである。
いや、さらには、宿命によって悪事を働くことがあっても、それもまた、自分がしたことではなく、「させてもらった」ことなのだ。
このおじいさんも、ある程度のいい年にもなって、悪いことをしたこともあったのだ。
前世からの因縁が、自分にそんなことをさせたのかもしれない。だが、自分がやったと思って、その原因となった誰かを恨んだり、罪悪感を持たなければ、新たな因縁は作らない。つまり、それで終りなのだ。

我々も、腕振り運動をしているのではなく、「させてもらっている」と思わなければならない。
神の名を唱えているのではなく、唱えさせていただいているのだ。
その他のことも全て、自分でやっているのではなく、神によってさせられているのである。
そうであれば、運命が全て決まっているとしたって、少しも不満に思うこともない。

そうなれば、色々、興味深い変化が起こる。
犯罪者を見ても、「死刑にしろ」などと罵倒することも、蔑み、見下す気持ちも起こらなくなる。
むしろ、拝みたい気持ちになる。
彼が自分の代わりにやってくれたので、自分は罪を犯さずに済んだのだし、彼らの様子を見て、自分は悪いことをすまいという気持ちになるのだからだ。
実にかたじけない、あり難いことである。
そうすると、彼ら犯罪者のために、そして、その被害者のために、あるいは、全ての他人のために、念仏を唱えるようになる。

最初に述べたが、念仏を唱えると、仏や菩薩、神々、それに、竜や魔王が、一瞬の隙もなく、常に護ってくれる。
世界のために念仏を唱えれば、自分も世界の中に入るので、自分も常に護られるのである。
そして、そんな風に念仏をする者の方が、神仏も護り易いものらしい。
腕振り運動や、神の名を唱えることは、ただ、「させてもらっている」と思ってやれば、顕著に効果が現れる。
そして、他者のために念仏をする者に対し、危害を加えることが出来る者は地上にはいないし、宇宙にもいないのである。









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