我々は、親や、学校の教師や、会社の上司や先輩から押し付けられたものの考え方を叩き壊し、捨て去らなければならない。
全部、きれいさっぱりだ。
台所のゴミを捨てる時に、ゴミ袋の中を探って、残しておくものを見つけようなどとしないように、ただ捨てれば良い。
しかし、捨てる時にだって台所のゴミを批判しないように、彼らの考え方を批判する必要もない。
捨てさえすれば良いだけなのだ。
もし今、世間の教義や信念を受け入れさせられている最中であるなら、そして、彼らに、「お前も少しは進歩したじゃないか」と言われでもしているなら、まずは、ジョセフ・マーフィーの本を読むと良い。
熱心に毎日読むのだ。
ただし、当然翻訳で良いが、ジョセフ・マーフィー自身が書いたものを読むべきである。
それによって、世界というものは、ただ物質的なだけではないと思えるようになれば良いのである。
物質や、目に見えるものも良いものだし、大切ではあるのだけれど、目に見えないものの方がずっと大切なのだ。
昔から、賢い人達は、「花もまた魚」と言ってきた。
魚が身体の栄養になるように、花は心の栄養になるからだ。
だから、魚を食べるだけでなく、花を心で食べなければならないのだ。
そして、神や仏の名が魂の食物なのである。
しかし、これを食しない人がなんと多いことだろう。
イエスは、「このワインは私の血、このパンは私の肉。私の血を飲み、私の肉を食べよ」と言ったのは、魂の栄養を摂れという意味である。
イエスの名を静かに想えば、自然に、あなたの魂に光のエネルギーが注がれるのである。
無論、弥勒菩薩や、天照大神、アポローン、アテーナーの名でも良いのである。
そして、『福音書』や『バガヴァッド・ギーター』を読めば、あなたの魂は黄金色に輝き始め、その魂は心を創り直し、心は身体を創り直す。
それが、健康と若さと能力を創り出す秘訣である。
4つの福音書やバガヴァッド・ギーター全18章は、あなたに空間的な視点を与える。だが、世間の教義は直線的であったし、世間の中のいかに優れた教えでも平面的だったはずだ。
だが、福音書やバガバッド・ギーターに組み込まれたプログラムは、さらに、あなたを4次元的な世界に導く。
すると、イエスが約束したように、あなたはイエスがやったようなこと、さらに、もっと大きな業を為すのである。
すぐにはそれができなくても、忘我の状態になった時に、少しだが、そんなことをしてしまうことが私にもある。
無論、誰にでもそんなことが起こる。
その時に、自分の未来の姿、やがて達成する真の姿を垣間見るのである。これほど嬉しいことはないだろうと思う。
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全部、きれいさっぱりだ。
台所のゴミを捨てる時に、ゴミ袋の中を探って、残しておくものを見つけようなどとしないように、ただ捨てれば良い。
しかし、捨てる時にだって台所のゴミを批判しないように、彼らの考え方を批判する必要もない。
捨てさえすれば良いだけなのだ。
もし今、世間の教義や信念を受け入れさせられている最中であるなら、そして、彼らに、「お前も少しは進歩したじゃないか」と言われでもしているなら、まずは、ジョセフ・マーフィーの本を読むと良い。
熱心に毎日読むのだ。
ただし、当然翻訳で良いが、ジョセフ・マーフィー自身が書いたものを読むべきである。
それによって、世界というものは、ただ物質的なだけではないと思えるようになれば良いのである。
物質や、目に見えるものも良いものだし、大切ではあるのだけれど、目に見えないものの方がずっと大切なのだ。
昔から、賢い人達は、「花もまた魚」と言ってきた。
魚が身体の栄養になるように、花は心の栄養になるからだ。
だから、魚を食べるだけでなく、花を心で食べなければならないのだ。
そして、神や仏の名が魂の食物なのである。
しかし、これを食しない人がなんと多いことだろう。
イエスは、「このワインは私の血、このパンは私の肉。私の血を飲み、私の肉を食べよ」と言ったのは、魂の栄養を摂れという意味である。
イエスの名を静かに想えば、自然に、あなたの魂に光のエネルギーが注がれるのである。
無論、弥勒菩薩や、天照大神、アポローン、アテーナーの名でも良いのである。
そして、『福音書』や『バガヴァッド・ギーター』を読めば、あなたの魂は黄金色に輝き始め、その魂は心を創り直し、心は身体を創り直す。
それが、健康と若さと能力を創り出す秘訣である。
4つの福音書やバガヴァッド・ギーター全18章は、あなたに空間的な視点を与える。だが、世間の教義は直線的であったし、世間の中のいかに優れた教えでも平面的だったはずだ。
だが、福音書やバガバッド・ギーターに組み込まれたプログラムは、さらに、あなたを4次元的な世界に導く。
すると、イエスが約束したように、あなたはイエスがやったようなこと、さらに、もっと大きな業を為すのである。
すぐにはそれができなくても、忘我の状態になった時に、少しだが、そんなことをしてしまうことが私にもある。
無論、誰にでもそんなことが起こる。
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沢山の視聴者の元気の源になっているであろうNHK朝の神ドラマ『”あま”ちゃん』からも(名前からして天の贈り物かのような)凄い力を感じます。
社会現象を巻き起こすようなアイドルと言うのは古来より一種宗教的存在な一面もあるのかもしれない
邪馬台国の卑弥呼なども古代の「あまちゃん」だったのだろうか