本当に叶えたい願いを断念した時に、新しい霊的なエネルギーが流れ込み、あなたは別人に生まれ変わる。
それを新生と言う。
無論、真剣でない願いなどを諦めても、何も起こらない。
例えば、中学、高校、大学と音楽に熱中し、いつかはプロのミュージシャンにと思っていても、学生時代が終りになれば、いつまでも夢を追ってはいられない。
その夢が大きければ大きいほど、今後も引きずるようなことをせずに、思い切って断念しなければならない。
そうすれば、ヨハネから水の洗礼を受けたイエスに起こったように、あなたにも天から霊が降りてきて、それはあなたに宿る。そして、それは活動を開始する。
だが、余計な思いを残したままであると、あなたの霊は天に向かって門を開かず、あなたは新しい叡智、新しいエネルギーを得損なってしまうのだ。

総じていえば、あらゆる願いは手放して良い。
堅持すべき願いなどは存在しない。
あなたは、ある優しくて美しい少女と一緒になりたいと思っているかもしれない。
それを断念すれば、あなたの得るものは大きい。
また、あなたは日夜努力し、大切な目標を達成しつつあるかもしれない。
しかし、それを手放すよう計るのだ。
あるいは、あなたは、聖人のような優しく気高い人間になろうとしているかもしれない。
そんなことは、さっさと諦めてしまうことだ。

断念・・・なんと素晴らしい言葉だろう。
以前、何かのイベントで、大勢の子供達に、「君の夢をあきらめないで」といった歌を歌わせ、それが感動の体験であるように押し付けようとするものを見たが、誰だってそんなものは大嘘だって気付いているはずなのだ。
夢はどこから来るのだろう?
それは、清らかな心から離れ、本能と結び付いて穢れた心からである。
本能自体は悪ではないのだけれど、心はこれと結合してしまうと堕落するのである。
しかし、夢を手放すことで、心は再び清浄さを取り戻すことができる。
清らかな心は、知恵と生命エネルギーの完全な通路である。
それを得たなら、あなたに不可能なことはなくなり、何者もあなたを損なったり、傷付けることは決してできない。
断念・・・これが誰もが見つけ損なってしまう奇跡の秘法なのである。
だが、それはこれからも、ほとんどの人類に隠され続けるのだろう。
ところが、あなたはもう見つけてしまったのだ。
あなたは、もう世界を手にしたも同然である。









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