釣りや、スキューバ・ダイビングや、あるいは、海外旅行といったことを、一生繰り返す人がいる。
それが趣味なのだと言えばそうなのだろうが、実は、その人は、一番最初にそれをやった時の感動を追い求めているのである。
毎晩、1人で黙々と車やバイクを走らせる人なんてのも、初めて車やバイクを運転した時の感動が忘れられないのである。
そして、初めてそれをやった時の、あの輝きをもう一度得たいと思っても、それは叶わないのだ。
しかし、それでも人は、それを求めずにはいられない。
それは、個人的なことに限らない。
映画の『スターウォーズ』シリーズは、1977年に制作され、現在は『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』と呼ばれる、最初の作品が圧倒的な最高傑作である。もちろん、品質においては、後の作品の方が格段に優るのだが、一番最初の作品ほどの輝きはなく、新しい作品ほど、「凄いし面白いが、飽きてしまう」のである。
映画のシリーズ作品なんて大抵そうで、クライスラー社の伝説のCEOリー・アイアコッカは、大ベストセラーになった自伝『アイアコッカ』に続いて書いた『アイアコッカ2』の序文で、「『スーパーマン2』も『ジョーズ2』もみんな失敗作なのだ。それを知りながらなぜ私は『アイアコッカ2』を書くのだ」と、妙な自嘲を書いていた。確かに、『アイアコッカ2』は『アイアコッカ』ほどヒットしなかった。
映画だけではない。オリンピックなんて、回を重ねるごとに、表面的には凄いものになるが、実質では、感動もロマンも品位も失われていることが分からないだろうか?
レスリングだけでなく、人類は、もうオリンピックなんてやめれば良い。そもそも、オリンピックを行うIOCなんて、誤解している人が多いが、あくまで個人的団体であり、昔は志があったにかもしれないが、今では個人のあらゆる意味での利益のために行われているのであって、あんなものを招致する必要は全くない。
あんなものに頼る者こそが、ますます堕落するのではないだろうか?

「初心忘れるべからず」なんてよく言うが、言われなくたって、真面目にやったことなら、初めてやった時のことを忘れることなどない。
ただ、これにはマイナス面もあることを、少し覚えておいても良いかもしれない。
西部劇の最高傑作とも言われることがある、キング監督、カーク・ダグラス主演の『星のない男』(1955)で、流れ者の凄腕ガンマンのデンプシーは、旅の途中で偶然知り合ったジェフという若者に銃の撃ち方を教えたが、不幸ななりゆきで、ジェフは争いを起こし、1人の男を撃ち殺してしまう。
その時、デンプシーは、厳しい顔で、「人を殺す味を覚えたら、それを忘れられなくなるんだ」と言う。
それは、運命によってどんな形で残るのかは違うのだろう。殺しの味をしめて病みつきになる者もいれば、一生苦しむ、呪われた記憶になる者もいる。

昨年(2012年)東京オペラシティ・コンサートホールで公演された、冨田勲さん制作の、初音ミクをソリストとして迎えた『イーハトーヴ交響曲』は大評判であり、今年は、いよいよ全国公演が行われる。
昨年の初演には、様々な欠点はあっただろうし、今回はそれを改善してくるだろう。音楽的にも、初演の時のものには、指揮者から個々の演奏者まで、心残りの部分もあったに違いない。また、初音ミクの映像も、顔の部分に反射が起こってしまうなどのミスもあった。今年の公演を終えた後で、最良のものが映像作品として、ブルーレイやDVDが製作されるのだろうと思う。
無論、今年の全国公演は喜ばしいことなのであるが、初演を超えることはおそらく出来ないだろう。
初音ミクのコンサートだって、2010年のZepp Tokyo、2011年のロサンゼルス・ノキアシアター、2012年のTOKYO DOME CITY HALLと、回を重ねるごとに、映像や演奏といったパフォーマンスは格段に進歩していったが、私がブルーレイで最もよく見るのは、映像や演奏が明らかにその中の3番目である、2010年のもので、これが最高だと思うのである。

なぜ最初のものが一番良いのだろう?
そこには、「樸(ぼく)」があるからである。
「樸」とは、現代では「朴」が近いのだろうが、原木のことであり、天然のままの素朴なもののことと言って良いかもしれない。
しかし、本来は、「樸」というべきものだろう。
老子は、繰り返し、「樸」の重要性を説き、それを保持する者が本当に偉大であることを繰り返し教えた。
人は、天性のままであれば・・・原木のままの自然さを失わなければ、素朴であり、愚直であれば、何も恐れることはない。
万物は彼に従い、何者も彼に挑むことはできず、鬼神はひれ伏して拝し、完全な平和を守るのである。

では、どうすれば樸を再び、自分の中心に据えることができるのだろう?
それは、運命を無心に受け入れることによってだ。
人は、天の定めた運命から逃れることはできない。
だが、全てを起こるがままにまかせ、万物と共に流れる時、彼は運命を心から楽しみ、この世は遊びになる。
その時、我々は樸である。樸であるなら、天を造り出したものと一体になっているのである。
老子や彭祖は、そのためにただ、適切な食事をし、性を慎むことで、心を静かに保ちなさいと教えたと、抱朴子が伝えている。
それが、道を得ることであり、真の仙術を修めることであるのだろう。









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