「郷に入っては郷に従え」という言葉がある。
言うまでもないだろうが、その場所にはその場所の風俗や習慣があるのだから、それに従わなければならないという意味だ。
実際、独特の慣習や掟のない土地や組織なんてものはない。
その慣習に馴染んでいる者には、それは当たり前のことであるが、外から来た者にとっては、奇異に見える。しかし、平和でいたければ、黙って受け入れることだ。

ある結婚式で、新郎の会社の重役が、こんな話をした。
「ある女性が、夫の家に嫁に来たのだが、その家では、納豆に砂糖を入れて食べる習慣があり、嫁は面喰った。そして、自分はそんなことは絶対に出来ないと言って、それに従わなかったので、夫の両親とうまくいかなかった。同じ日本人でも、家族によって大きな違いがある。相手の家族と仲良くやっていきたかったら、我慢が必要だ」
新郎新婦に対する、お互いが相手の家族とうまくやっていく心構えを的確に教えたのである。

イチローは日本にいた時から、打席に入るなり、バットを外野に向けて真っ直ぐに伸ばすポーズを取る習慣があったが、これを大リーグでやったら、相手ピッチャーを怒らせてしまったようである。
また、新庄剛さんは、ランナーとしてホームインする時、ホームベースを手でタッチするのだが、これも相手チームに侮辱と取られたということがあったような気がする。
いずれも、その理由を聞いたような気もするが、私は忘れてしまった。あまりに些細なことだからだろう。

日本人の風俗や習慣が、外国の人達に好奇の目で見られたり、非難されることすらよくある。
逆に、日本人が、外国人のしきたりに驚き、呆れ、あるいは、馬鹿にしたり、恐れたりすることもよくある。

もうそんな愚かなことはやめにしようではないか?
自分にとって、奇妙に思えたり、受け入れ難く感じたとしても、それは単に、自分もまた、同等かそれ以上の偏見や固定観念を持っているというだけのことなのだ。
私は何度も転職したが、転職した先で、その会社の慣習にどっぷり浸かって、それを当然だと思っている人達が間抜けに思えて、馬鹿にしていたことがあった。しかし、自分の心に本当に偏りがなければ、他人の慣習など気にならないものなのだ。
だから、旅を続けているうちに、十分に鍛えられ、心が磨かれて純粋になった者は、どんな土地に行っても平気で暮らせるのだ。

私は、それが明らかに快楽の欲望や、自己中心主義から行われたものでない限り、誰のどんな言葉や行為も非とはすまい。
私がアメリカの野球ファンであったなら、新庄さんが、ホームベースにタッチするのを見て、一瞬、不快に感じても、彼に悪意は何もないことを理解し、心を静めるつもりだ。
また、その者の行いや物言いが、もし、天地自然の理から外れていると感じても、できれば大目に見たい。
なぜなら、裁くのは神なのだから。









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