こんなお話があった。
祖国を裏切り、自分と母親を捨てた父親に復讐するために、息子は日本にやって来た。
父親は、妻と息子を深く愛していたが、良心に従って戦い、息子を倒した。
父親は、死んでゆく息子に言う。
「赦してくれ、息子よ。だが、こうするしかなかったのだ」
すると、虫の息の息子も言う。
「僕もだよ、父さん。こうするしかなかったんだ」
そして、息子は、母親は彼を赦していたこと。自分も母も、彼を愛していたことを告げた。
だが、それでも、戦いは避けられなかったのだ。

愛し合いながら戦うしかなかった。
それは、息子の憎しみと、父の良心によるのだが、父親の良心とは、国家のエゴイズムに加担しないことだった。
これは、1964年のテレビアニメ『エイトマン』の第34話『決闘』で、原作の漫画にはないお話だが、原作者の平井和正さん自身が脚本を書いた名作だ。
エイトマンは、この戦いについて、「宿命」という言葉を使った。
そうだ。
愛し合っていても、宿命であれば、戦いは避けられない。

「愛し合っているなら、戦いをやめればいい」などと思うかもしれないが、人間は宿命には勝てない。
インドの至高の聖典『バガヴァッド・ギーター』で、アルジュナ王子は戦いを前に悩み苦しんでいた。
敵勢の中には、慕っている叔父、仲の良い従兄弟、尊敬する師、信頼する友などがいて、アルジュナは彼らを本当に愛していたからだ。
アルジュナは戦いを放棄しようとするが、神クリシュナはアルジュナに、お前に戦いを避ける術はない。武士の名に相応しく戦えと言う。
我々同様、アルジュナはそれをどうしても理解できない。
だが、クリシュナはアルジュナに、繰り返し、運命について説く。
「敵はすでに神によって殺されている」
剣を振るい、弓を引いても、アルジュナは何もしていない。全てを為すのは神である。

イエスはよく、「預言は実現されなければならない」と言い、旧約聖書に書かれた通りに、世界が進行することを示した。自分の災難についてすらそうだった。
旧約聖書は、神が予言者達に語った、この世のストーリーである。それは実現されなければならないし、必ず実現する。
脚本が書かれ、制作が決定した劇は、その脚本の通りになるようなものだ。
仏陀も言ったのだ。
「行為はあっても、行為者は存在しない」
全ては、神や仏の為すことなのである。

だから、我々は、何が起ころうとも、そして、自分が何をしようとも、決して、恨むべきでないし、後悔すべきでもない。
全ては神が決めたことであり、いかなることも、起こるべくして起こるのだ。
我々には、それをどうすることもできない。我々には、世界や運命をコントロールする力なんてこれっぽっちもないのだ。
だから荘子は、全てを無心に受け入れよと言ったのだ。

インドの聖者ラマナ・マハルシに、ある男が言う。
「私は妻子があるが、隣の家の娘があまりに魅力的で忘れることができない。間違いを犯しそうで恐ろしい。私はどうすれば良いのですか?」
マハルシは男に、心を静かにする最上の方法である、「自分とは本当は何か?」を問うことを教えたが、こうも言ったのだ。
「間違いが起こっても、後悔してはならない」
だが、それなら、こう言いたい者がいるに違いない。
「では、俺はどんな悪いことをしても良いのか?なら、これからは勝手気ままにしてやる」
これに対しては、親鸞聖人が答えている。
「人は自分の思うように、善いことも悪いこともできない」
それが運命というものなのだ。
そして、いかなる悪いことをしても、ただ、「南無阿弥陀仏」の念仏を一度唱えれば赦される。
しかし、こうも言ったのだ。
「薬があるからとて、毒を好む必要はない」

あなたも、決して、後悔してはならない。自己嫌悪を感じてもならない。
また、恨んではならない。憎んではならない。
あなたに危害を加えた者も、神の操り人形に過ぎない。
では、荘子の言う通り、全てを無心に受け入れればどうなるだろう?
スーフィー(イスラム神秘主義)にこんな言葉がある。
「彼は、神を探しに行って、神になって帰ってきた」
全てを無心に受け入れることが、神を探すことである。
ならば、結論は、その通りである。
釈迦も、アメリカ最大の賢者エマーソンも、全く同じことを保証しており、安心して良い。
尚、多少は頭で理解したいなら、そして、受け入れることの糸口を掴みたいなら、何度も奨めたが、五井昌久さんの『老子講義』をここでもお奨めする。









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