女子短大の卒業生が沢山の資格を持っているのに驚いたことがある。
しかし、どの資格に関しても、何か出来るという訳でもなく、ほとんど名前だけの資格であった。
そういったことは、別に、短大や新人に限らない。
何でも出来なければならない、あるいは、出来るのが良いという、妙な考え方は、割とこの国を支配している。
英語だけじゃ駄目で、フランス語も、ドイツ語も・・・と言っても、外国語1つを満足なレベルにするだけで大変なことだ。全部「そこそこ」、いや、「いい加減」であるなら、せめて1つをしっかりやった方が良い。
また、「簿記できます」「英検2級です」「エクセルできます」「運転できます」「CADできます」、そして、「他のことも覚えます」なんて人がいたら、ただ便利な小間使い(雑用のための下役)として使われるだけだ。こんな人は実に多いし、やっぱり、アゴで使われて、いい思いをしていない。
これは、「どんな仕事が来るか分からないから、何にでも対応できなければなない」という、馬鹿な教育でも受けたのであろう。
まあ、学校というのは、国家のために国民に奴隷根性を叩き込むところなのだから、そんなものだとは思うが。

私がやっているコンピューターソフト開発の世界でも同様なのだ。
「JavaもC++も、PHPも、Curlもできます。Rubyも勉強中です。VBなんてへのかっぱです。DB(データベース)はオラクルもSQL Serverもできますし、MySQLやPostgreSQLも大丈夫です」
なんて人は、やっぱり、つまらない仕事ばかりやらされることになる。
しかし、IT雑誌や、「あなたのITスキルチェックサイト」なんてWebサイトを見ると、「オラクルとSQL Serverは両方できることが望ましく、どちらかしか出来ないのは不利」みたいなことが言われていることが多い。
とんでもないことだと思う。
C言語でもオラクルでも、本当にやったことがあれば、それらに欠点があるがゆえに、極めて複雑であり、良いパフォーマンスを引き出し、安定に可動させるためには、実に多くのことを知らなければならないことが分かる。
「あの子もいい、この子もいい」なんて言ってたら、本当の恋愛ができないように、自分で「これだ」と思うものに情熱を注いでこそ一流になるのだ。
ある時、「俺はC言語を1日でマスターした」なんて開発者に会ったことがある。「凄い開発者」という評判だった。
私はC言語を3年やっても、全然不完全だと思っていた。IQでは彼の方がずっと高いかもしれない。しかし、彼は大失敗して消えていったが、私は安全に残った。
私は、どんなことでも、それを一人前にやれるようになるには、それなりの、あるいは、長い時間が絶対にかかると思っている。
だから、いつでも安全で、決して災難に見舞われることはないのだ。

「やって来る仕事に対応する」なんて考えを持っていれば、やっぱり、従の支配される立場でしか仕事ができない。
「俺はこれしかできないが、これには自信がある」というものがあれば、仕事の方からやってくるのである。しかも、それは、「やっていただけませんか?」という敬った態度で来るのである。
こちらが、「なんでもやりますから仕事下さい」なんて言ったら、「やらせてやる」的な、悪い立場の仕事しかできないのだ。

私は以前、dbMAGICという、「素人の事務員の女の子でも開発できる」と言われる、業務システム開発ツールを使い、「これしかできないよ」と平然と言っていた。ただし、それには情熱を注いでいた。
すると、大手IT企業や、大手企業のシステム開発部門の部長達がこぞって、若い私に頭を下げ、「是非、協力を」と丁寧に頼んできて、私は、開発を「やらされる」のではなく、あくまで、指導者、教師、あるいは、コンサルタントの立場で、威張りはしないが、良い立場で楽しく仕事をしたものである。
客の部長や課長はもちろん、社長以下が若かった私を実際に「先生」と呼んでいた、決して小さくはない会社もあった(あまり良いとは思わなかったが)。
ただ、私の能力がそんなに凄かったかというと、正直、それはなかったと思う。
私はいつだって、自分はまだまだ未熟と思っているし、教えている相手の方が上手くやることがあっても、多少焦りはするが、別に驚きはしなかった。だって、そんなの、当たり前だからだ。
「パントマイムの神様」とまで言われた、フランスの世界的なパントマイム・アーチストだったマルセル・マルソーは「未熟であることを大切にしている」といった意味のことを言っていたが、彼ほどであっても、やはり同じなのだと思う。

私は今は、「マイクロソフトAccessしか出来ないよ」と言っているが、やはり、それで、良い仕事しか来ないのである。
低レベルの開発者ほど、「なんだ、Accessなんかやってるのか?JavaやC#やRubyもできないと生き残れないよ」と言うものだが、連中のJavaのスキルなんて知れているに違いない。だって、Javaが本当に出来る人は、Javaが好きだが、Javaの奥深さや危うさもよく知っていて、自分の能力でそれらをカバーし切れないことをよく理解しているからだ。
私は、Accessが好きだが、Accessを完璧に使えるなんてことを言う気はサラサラない。知らないことだらけであり、他のものをやっている暇などないのである。
私の知っている、超一級のExcelでの開発者は、「俺程度なら、誰でもすぐなれる」と言いながら、Excelに集中している。Excelで、私のAccessより、また、普通の開発者のVisual Studio(ビジュアルスタジオ)やJava(いずれも、「本格的」と言われるプロ用開発ツール)より、ずっと良いシステムを速く作れるのである。当然、収入も私よりずっと多いのだ。(通常、Accessの方がExcelより、本格的で大きなシステムを作れると言われている)
そして、Accessでの開発なんて、誰でも時間をかければ、私程度には、やはりなれるのである。そして、もし、将来、Accessがなくなっても(まあ10年やそこらはあり得ないと思うが)、同種のものは必ずあり、Accessで実践的に身につけた技能はそのまま役立つのである。私が、dbMAGICをやっていたので、Accessを簡単にマスターできたようにである。
(dbMAGICは日本独自の名称で、現在はMAGICという本来の名前が使われており、現在も、世界的な開発ツールとして使われている)

ジーン・ケリーという、ダンスの名手と言われた大俳優は、オーディションの評価通知を、死ぬまで大切にしていた。
そこには、「演技、見るところなし。歌、平均以下。ダンス、ほんの少し」と書かれていた。
彼は、「少し得意な」ダンスを磨き、そこを突破口にした。
大リーグで活躍した野茂英雄はストレートとフォークしか投げなかったし、ナックルボール1本で勝負しているピッチャーもいる。
それができるかどうかは、周囲と比較した力量次第であるが、我々がやる程度のことなら、そんな生き方をしてみたいと思うし、それは誰でも可能と思うのだ。
ギリシャ神話や古事記の神々にだって専門がある。万能神は何もしない(ゼウスのように、あちこちで子供を作るくらいだ)。また、神話の神は、決して完璧なんかじゃあない。
あなたは、まず、何かの神になるのが良いと思う。そうすれば、あらゆることが見えてくるに違いない。









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