宮沢賢治の有名な『雨ニモマケズ』の始めの方に、「決して怒らず、いつも静かに笑っている」と書かれている。
なぜ怒ってはいけないのだろう?
それが、人々や、その他のものに対する慈愛であるからだろうか?
それもあるだろうし、賢治はそのつもりで書いたのかもしれないが、私は、それよりも、怒らないことが、自分のために物凄く重要だということを強調したいものだと思う。
早い話が、怒るとエネルギーを急激に失うのである。つまり、元気や精力がなくなるのだ。
エネルギーというと、物質主義の現代人は、食べ物や健康ドリンクで得られると思っているだろう。
しかし、栄養たっぷりの健康ドリンクの空き瓶が山のようになるほど飲んでいるのに、いつも疲れてへとへとという人は多いのではないだろうか?
食べ物で得られるエネルギーなど、本当は知れており、必要以上に摂っても脂肪になって蓄積されるだけで、「決してエネルギーになったりしない」のである。
むしろ、栄養を摂り過ぎると身体の機能を損なって、ますます元気がなくなり、下手をすると病気になる。
病気の要因は誰もが持っているが、それを抑える力があるから病気にならないのであり、エネルギーがなくなると、それを抑えられなくなって、病因が働き出してしまうのである。

怒るとエネルギーを失うと言ったが、もっと正しく言うなら、心が静かでないほどエネルギーは失われるのである。
だから、イライラしたり、憎んだり、妬んだりするのも、心が荒れて揺れ動いているのであるから、やはりエネルギーがなくなる。
だが、憎しみや妬み、イライラも、怒りの一種であるから、総じて「怒り」と言っても、おかしくはないと思う。
宗教的な意味でも、憎しみや妬みがいけないとよく言われると思うが、宗教ではやはり、高貴な意味で言うのであろうが、そんなことより、まず、個人のエネルギーが大量に失われることが問題なのである。

「怒るとエネルギーを失う」と言うと、多くの人が、「ああ、そうだろうね」と一応は肯定するが、皆、軽く受け取ってしまって、本気で考えない。
やはり、エネルギーは物質的なものであるという観念に慣れ切ってしまっていて、精神との関連が分からないからだ。
ガソリンという物質が燃焼してエネルギーを発生して、自動車のエンジンを動かすということは誰もが受け入れている。
放射性物質が核融合でエネルギーを発生するということも、実感は無いながら、なんとなく認めているかもしれない。
だが、アインシュタインが、物質とエネルギーは同じものだと言ったことに対しては、「試験にでも出るなら暗記するよ」程度の扱いになる。つまり、利益がなければ関心を持たないのが現代人だ。
まして、現代科学で認められていない、精神とエネルギーが同じものであるということになると、現代人は誰も真面目に考えないのだ。
だから、みだりに怒ったり、憎んだり、妬んだり、イライラしたり、実質は、それらと同様である、叱責、非難、批判を止め処もなく行い、愚痴を言い、嫌悪を持つことも平気でやってしまうのである。
それで、どんどん老化し、健康は失われ、病気になってしまうのである。

世間の常識とは逆に、粗食・少食を厳しく守っていれば、力が溢れるはずであるが、それでも、怒ったり、批判したり、煩い事が多いと、エネルギーが足りなくなってしまうので、少食の奨めを説くような人達が、さほどの年でもないのに亡くなったり、重い病気になってしまうのである。
また、極端な喜びや、悲しみもまた、心の静寂を損ない、やはり、エネルギーを失くすのである。

抱朴子は、最高の仙人として、老子と彭祖(ほうそ)を挙げることが多いが、この2人の教えの要諦は、「精力を得るが失わない」ことであり、そのための重要なことの1つとして、精神の調和を挙げているが、それは、心が静かで安定した状態である。その他には、性的な放蕩(耽ること)を戒めることと、適切な食事をすることとしている。
道(タオ)という、宇宙で最も大切な良いものを得た老子や彭祖が、これだけで道は得られると述べることもあったのである。
老子は、自著の『老子(道徳経)』に、「私は3つの宝を持つ。慈愛と倹約と、天下の人の前に立たないこと」と述べているが、この意味は、様々に解釈されている。
私は、「慈愛」は、身体への慈愛で、適切な食事を意味し、「倹約」は、性的な節制で精力を浪費しないこと、「天下の人の前に立たない」とは、煩い事から遠ざかることと解釈すればぴったりすると思っている。

アントニオ猪木さんの「元気ですかあ!」は有名であるが、どうすれば元気でいられるかを、もっと真面目に考えるべきだ。
元気であるためには、エネルギーの浪費を無くすことだ。
猪木さんは、そのための素晴らしい人間性を持っていると思う。
事務所に泥棒が入り、250万円盗まれた時、「なんで俺のいる時に来ない?俺がいたら500万やる。猪木の事務所は250万しかないのかと思われたらカッコ悪いじゃないか」と言ったが、これは、猪木さんが大物であるということなのであるが、いつまでも怒ってエネルギーを失わない素晴らしい発想でもある。
猪木さんは、鷹揚(鷹が飛ぶようにゆったりした人間性)な人なのだろうと思う。
猪木さんは、少年時代に移民したブラジルで苦難の日々を送り、プロレスラーとして事業家として大変な苦労をし、糖尿病にもなる中で、身体のエネルギーの大切さを強く実感し、小さなことにこだわらない、ゆったりとした人間性を身につけたのだと思うのである。









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