伝承やお伽噺で聞く仙人のような摩訶不思議な力を得るための難しい修練方法を説く人もいる。まあ、それらも、確かに素晴らしいものなのかもしれない。
だが、『荘子』にもよく登場する彭租(ほうそ)という名の仙人の教えは簡単であったが、私は、この彭租の教えにこそ、生き生きとしたリアリティを感じるのだ。
彭租は、八百歳まで生きたと言われるが、実際はそれどころではなく、おそらく不死である。
特に人目を引くような不思議を起こす訳ではなかったが、ただ生命を大切にし、永遠に若々しい姿を保ち、また、彼の教えをいくらか受けたものは、不死とは言わないまでも、おそらく二百歳くらいまでは若者の姿でいられ、三百歳までは生きられた。
アメリカの科学技術者で探検家であったベアード.T.スポールディングの著した『ヒマラヤ聖者の生活探求』には、やはり百歳をはるかに超えても若い姿(20歳くらいから50歳程度くらいまでの外見など様々であるが)を保ち、普通の人間から見れば超人としか言いようのない力を持つ大師達が登場するが、大師達は、自分達の能力は、人間として当たり前のものであり、特別な修行などは必要としないと言った。
それと同様、中国の仙人のごとき力もまた、どんな人間の内にも秘められた力であると言ってよいかと思う。
彭租は、やはり、道術(仙人の術)を収めるのに、特別なことは必要とせず、ただ、「禁欲して性エネルギーを保存すること」、「心を静かに保つこと」、「適切な食事をすること」の3つを実践すれば良いと述べている。
確かに、現代は、性欲を煽って儲けようとする輩や、過ぎた美味な料理を過剰に食べさせて儲けようとする者がどこにでもいるし、物質主義の世の中では、人々はストレスを溜め込み、心を安らがせることができない。
そのような世俗に生きていれば、いかに長寿国といったところで、たかだか70歳や80歳で老人となり、「近い将来、若者4人で65歳以上の高齢者1人を抱えなければならない」などと平気で言う。なんで「抱えられない」といけないのか?
人間は、70歳くらいから、ようやく円熟し、本当の力を発揮できるようになるのであるが、誤った固定観念のせいで、自分が信じる通りに老化するだけである。
そのような誤った迷妄を打ち壊し、世間の教義や信念にひれ伏すことをやめれば、人間本来の力に目覚めるはずである。
ところで、性的禁欲や食の慎みは、まだ易しいのであるが、難しいのは心を静かにすることである。
だが、それも、誰もができるようになっている。
私は、この数ヶ月、乾癬という皮膚病を煩い、酷い痒みに苦しめられているが、黙って耐えることで精神が鍛えられ、心を静かにする力が格段に向上した。最近、その効果に自分で驚いている。怒ったり、妬んだりということが、全くないとは言わないが、自分で不思議になるほど起こらない・・・また、起こったとしても、簡単に消すことができるのである。
私のような皮膚病はないとしても、あなたにも、必ずや、何かの苦しいことがあるはずである。未熟な人間に、神様がそのような配慮をされないはずがない。
借金に苦しんだり、自分の面子を失うのも辛いのだが、敬愛する人の面子を潰して、もっと深い苦しみを味わっている人もいると思う。
そんな苦しみに、黙って耐えるのだ。そうすれば、心を静かにする大きな力が与えられるのである。
また、自我の性質である、放埓(勝手気まま)に振舞いたいという心を抑え、自己に制約(制限)を課せば、これも、心を支配する力を得るに十分であり、人間本来が持つ、イエスのごとき力、仙人のごとき力は得られるに違いない。
イエスは、自分と同じように、自在に水の上を歩行できなかったペテロを叱り、食べ物を得ることを心配した弟子達を嘆いたのだ(イエスは数個のパンと数匹の魚を増やし、5千人に食べさせて満腹させた)。
彼らは、心の支配力が足りなかった。
しかし、彭租の簡単な教えを熱心に実践すれば、それはさして難しいことではないと思われるのである。









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