私は、高校1年生の時に、こんなことを考えたことをはっきりと憶えている。
それは、大悪人が善き人になるには、どのくらいの時間がかかるかというと、それは間違いなく一瞬であるということだ。
別に何か根拠があるわけではなかったが、そうとしか思えなかったのは、それが自分にはできるという、確信めいた感覚があったからだ。
そして、最近、その感覚が蘇ってきたように思う。
それがどんな感覚であるとか、どうやってその感覚を起こすのかというと、少し難しいのであるが、こんな話が参考にならないだろうか?
私は、小学生の時から、専門の選手ではなかったのだが、走り高跳びが得意で、誰かに負けたということがなかった。
ところが、おかしなことに、自分がどんな飛び方をしていたのか、さっぱり分からないのだ。
普通の人なら、バーの斜めから走ってきて、はさみ飛びで飛ぶのだろうが、私は、必ず正面から走ってきて飛んでいた。
ところが、ある日、一瞬で飛び方が分からなくなったのだ。
中学1年生の時であったが、やはり真正面から走ってきて、なぜか飛ぶのをやめた。その瞬間に忘れたのだ。以降、正面から走ってきて飛ぶということは、もうやれなくなった。
だが、それまでは、確かに、特別な飛び方をしていたのだ。
一瞬で心を変える技術というものも、ほとんどの人には全くやり方が分からないのであるが、できる者には簡単にできるのである。
そして、それはある時期までは誰にでもできるのだが、私の走り高跳びの飛び方のように、一瞬でやり方が分からなくなるのだ。
それだけではない。
私は、小学4年生で天体望遠鏡を手に入れた時、何の天文の知識も資料もなく、土星をいとも容易く見つけることができた。
また、図書館がどれほど広くて、どの場所がどんな本のコーナーかということを誰にも聞かなくても、読みたい本のところに真直ぐに進むことができた。
こう言うと、不思議な子供のようだが、そのようなことはできるのが当たり前で自然なことなのだ。それをできない者の方が、問題なのである。

そして、私は、今日、心を一瞬で変えてしまう感覚に、再び目覚めていることに気が付いたのだ。
もし、多くのお金をすぐに得られるという心の態度にすれば、お金は必ず得られるだろう。
ジョセフ・マーフィーの成功法則が目指すものは、そのような心の態度を持つことなのだろうと思う。
それは、世間の人にはとても難しいことなのだろうが、マーフィーは、そのやり方を懇切丁寧に易しく教えたので、潜在意識を活用する技術を教える教師として世界的に名高くなり、そして愛されたのだろう。

1つコツを教えるなら、心臓の下、胃の上あたりを、いつも楽にすることだ。
このことを、明治、大正の偉人で、「岡田式静坐法」で知られた岡田虎二郎は、「鳩尾を落として座れ」と言ったのだと最近気付いた。
「鳩尾を落とす」とは、また難しいことだが、それは、このように、心臓の真下が清々しく、何もないかのように感じることなのだ。
岡田虎二郎の静坐も学び、世界的著書『肚(HARA)』を書いたドイツ人心理学者カールフリート・デュルクハイムは、本来の日本人の姿勢は、肚(腹)と胸が近くにあり、非常に精神に良い影響を与えていたのに、ある時期から、西洋的に、胸を張るようになり、胸と腹が離れてから、西洋人のように、高慢な自我が自己主張をするようになり、日本人の慎み深い素晴らしい感覚を失ったのだという。
それは、胸にある自我が、肚にある神を敬うことを忘れ、ないがしろにするようになってしまったということだ。
心臓の真下、胃の上、膵臓、鳩尾・・・そこが潜在意識の座である。
そこをきれいにすれば、心は支配できる。
そうなれば、どんなことでも、できると思いたいならそう思えるし、それであれば、何でも本当にできてしまう。
つまり、信じることができるようになる。それが信念を持つということである。
鳩尾を、楽できれいな状態にするには、粗食をし、決して満腹するまで食べて自分を甘やかしてはならず、できる限り食を慎むことである。
現在の日本人は、ふんぞり返って座り、ますます、胸と腹が遠くなった上、美食、飽食で、大切な鳩尾が穢れきっている。
まずは食を慎み、慎みのある美しい姿勢でいるよう意識すれば、心を制御できる力を取り戻し、不可能はなくなるのである。









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