話に聞くだけだが、多くの大学入学生が、大学で友達が出来ないことが不安であり、そして、心配した通りに友達が出来ないと、1人で昼食を食べていて「友達のいないつまらないやつ」と思われるのが辛くで、トイレで食べたりする者がいるらしい。
下らない話ではあるが、私も、昔、大学の学食で1人で昼食を食べていると、そんなのは私くらいのもので、友達と「つるんで」食べている者達が、私を蔑んでいるように感じた憶えは確かにある。

だが、友達なんかいなくていい。いや、いてはならない。
それがどういうことか、少し説明しよう。
私は、昨年一度、通勤の時に乗る電車の車両を変えている。
よく空いていて、快適であったし、おまけに、いつも見る素晴らしく可愛い女の子もいて、目の保養になっていたのだが、それでもそうしたのだ。
その訳はこうだ。
大学生だろうと思うが、3人の男子がいつも一緒に乗って来た。スマートフォン嫌いの私も、こんな時ばかりは、この連中がずっとスマートフォンをいじって静かにしてくれればいいと思うのだが、仲良くおしゃべりをしている。
そんな連中が近くにいるような車両に乗っていることに耐えられなかったのである。
断言するが、大学生にもなって、いつも一緒に学校に通う通っているようなのは男ではない。

君達は、こんな気持ちの悪い「お友達」が欲しいというのだろうか?
大学の学食で一緒に昼メシを食ってる男なんてのも、やっぱり男のうちには入らないのだ。
もし、孤独を感じるとしても、それを背負って1人で、隅の席で食べるのだ。

最近、テレビで、1957年の西部劇『OK牧場の決斗』を見て、私は本物の男の友情に震えた。
カーク・ダグラス演じるドク・ホリデイは、ある夜、興奮したせいで持病による発作を起こして昏睡状態となるが、朝日の中で意識を取り戻すと、保安官ワイアット・アープが勝ち目の無い決斗に挑むことに気付き、歩くこともできないような身体に銃を下げると、黙ってワイアット兄弟に同行する。
ドクとワイアットは、世間で言う友達なんてものじゃあない。
ワイアットは西部に名を轟かせる凄腕の保安官。一方、ドクは、元は歯科医だったが、病気のために廃業すると、酒浸りの賭博師になる。だが、ドクは、早撃ちのガンマンでもあり、彼の心の傷からか、トラブルを引き寄せてしまい、殺しもやり、悪名高い札付きだった。
そんな2人は、なぜか縁があるが、良い関係であるはずもなく、ワイアットは町の治安のために、ドクを町から追い出そうとする。
ワイアットはドクを見下し、ドクはワイアットの足元を救おうと狙っているようにしか思えなかった。
そんなワイアットは、かつて、保安官としての義務からだが、ドクの命を助けたことがある。ドクはそれが気に入らず、ワイアットの命を助けて借りを返していた。つまり、もうドクには、ワイアットを助ける義理など、どこにも無いはずだった。
ワイアットは、悪党共に19歳の弟を殺され、まんまと私怨の決斗に応じさせられる。悪党共も、連邦保安官としてのワイアットを殺して、国家を敵に回すという割に合わないことをする気はなかったが、私闘なら問題はないと踏んでの策略だった。そんな卑怯な罠に、ワイアットと彼の兄弟は、まんまとはめられたのだ。
ワイアットは兄と弟の3人、敵は6人で、しかも、決斗の地は敵の本拠地の牧場だ。無謀な戦いだった。
その敵の情婦になりはてていたが、本心ではドクを慕うケイトは、ドクを止める。
「行けば必ず死ぬわ」
するとドクは言う。
「俺は何の価値も無い人間だが、唯一の友と死にたい」
男にとっての友とは、こういうものである。
映画では、他にも、アラン・ドロンとチャールズ・ブロンソンが共演した『さらば友よ』でも、やはり、本物の男の友情が描かれている。
そうせなら、今流行りの、面白いだけの映画などは見ずに、せめて、こういった映画を見ることだ。
そして、こういった友が出来ないなら、それも運命であり、神の意思だ。安っぽい「お友達」など、男には不要である。
私には、神が唯一の友である。
何も言うことを聞いてくれる訳ではない。だが、何の価値もない役立たずの私と違い、神にできないことは何もない。
神は、私の願いを叶えてくれることはない。だが、離れずにいることだけは赦されるのである。
もし、人間の本当の友が出来ても、何かが起こらない限り、離れていることだ。そして、そんな何かは起こらないに越したことはない。死ぬまでに、もう一度会えればそれで良いのである。









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