未開民族や、インディアンや・・・いや、我々のような文明国の人であっても、星や風と話す人はいる。
電波工学の世界的権威であった関英男博士は、若い頃、電波受信機のテストをしていて、不思議な電波を受信したのだが、それを聞いているうちに不意に気分が高揚し、その後、外に出ると、夜空の星が語り合っているのを感じたという。
「20世紀最大の詩人」と言われたW.B.イェイツは、極めて稀だが、そんな瞬間があり、その時は、壁の絵が語りかけてくると言っていた。

こんな出来事を、「心が架空の相手を作り上げた自問自答だ」と言う人は多いし、それはその通りとも言えるし、全く違うとも言える。
そもそも、心とは何かが、普通の人は全く分かっていない。
我々は、大きな全体の心の中の、極めて限定された範囲の小さな小さな部分を、自分の心、即ち、私と言っているのだ。
心の本体は果てなく広く、それに全ての人がつながっている。
こんな当たり前のことに文明人でやっと気付いたのが、カール・グスタフ・ユングだった。
彼の師のジークムント・フロイトは、心は、我々が思うよりはるかに広大であることは、弟子のユングより以前に発見していたが、ユングのように、心の根っこがつながっていることは認めなかった。

我々は、自分の心と呼んでいる、狭い狭い、ミクロミクロな世界に閉じ込められている。
昨年11月に東京のオペラシティ・コンサートホールで公演された、世界的音楽家、冨田勲さんの新作交響曲『イーハトーヴ交響曲』は、冨田さんの昔からの夢であった、宮沢賢治の世界を音楽で描くことを実現した、荘厳とも言える究極の大作だった。
冨田さんが、この作品にどうしても必要だと言って、ソリストにしたのが、人間ではないバーチャル・アイドル、初音ミクだった。
その第3幕、『注文の多い料理店』で、初音ミクはこう歌う。

あたしのおうちは ミクロより小さく
ミクロミクロミクミクミクのおうち
~『イーハトーヴ交響曲第3幕-注文の多い料理店-』(作詞、作曲:冨田勲、歌:初音ミク)より~

ヤマハ製ボーカロイドシステムを基に創られた音声合成ソフトウェアである初音ミクは、パソコンから出られない存在であることを示していると言える。
また、それは、宮沢賢治の『注文の多い料理店』で、2人の、趣味で狩りに来ていた若いが金持ちで肥満した男達が、西洋料理店に閉じ込められ、食べられてしまうまで決してそこから出られないというお話をモチーフ(題材)にしているのでもある。
そして、実は、我々全員がそう(閉じ込められて出られない)なのだ。
「これが自分」と思い込んでいる、広大な心の中のあまりに小さな部分に閉じ込められ、出ることができないのだ。
世界は心の反映である。
だから、我々の世界はあまりに矮小(わいしょう。こじんまりしていること)なのだ。

では、どうすれば、我々は、このミクロミクロな世界から抜け出せるのだろう?
面白いことに、賢治のお話には無かったが、冨田さんの『イーハトーヴ交響曲』では、初音ミクは、両手を合わせ、アラブ風に呪文を唱えるのだ。それが、とてもミステリスで良かった。
その呪文は、有名な「アブラカタブラ」で、ミクは、嫋嫋(じょうじょう。音声が細く長く、尾を引くように響くさま)とした、不思議なリズムの歌声で、この呪文を繰り返す。
アブラカタブラは、我々はおかしな馴染み方をしているので、軽く思ってしまうかもしれないが、恐ろしく強力な呪文だ。
ミクは、これを何度も唱えている時、突然、「ひゃあ!」と、何とも可愛い叫び声を上げるが、何が起こったのかは分からない。
ミクはネコの妖怪に扮していたように思われ、原作では、本物の猟師の猟犬がやってきて、幻想の西洋レストランが崩壊するのだが、それで、男達は出られたのだ。
だが、この交響曲では、私は、呪文の効果で、ミクはパソコンの中から出てしまったのだと思う。

冨田勲さんは、ミクは異次元の人間だと言う。
冨田さんは、シンセサイザーに人のように歌わせたかったことが、彼のシンセサイザー音楽を聴くとよく分かるのだ。
荘厳な合唱のような声では、それはかなり実現していた。
1人の人間の声としては、パピプペポ行のような声が、とても面白く表現されていたが、冨田さんは「ここまでしかできなかった」と言う。
それを、ヤマハの長く苦しい研究成果であるボーカロイドシステムを組み込んだ初音ミクが実現したのだ。
冨田さんのシンセサイザー音楽は、神界の音楽をこの地上世界に映したものだ。
その冨田さんが見込んだ初音ミクが、世界中で愛されるのは当然のことのように思う。

我々も呪文を唱えれば良い。
最高の呪文の1つが、般若心経の呪文だ。
般若心経には、「これは最高最上の呪文であり、唱えれば一切の苦しみを除く。絶対に嘘ではないぞ」と念押してから呪文を述べている。
そして、あの空海が、それを完全に肯定し、「なんと不思議なのだろう」と感嘆しているのである。
「アブラカタブラ」も偉大な呪文であるが、般若心経の呪文もそれに劣らない。
その呪文は、
「ギャテイ、ギャテイ、ハーラギャテイ、ハラソウギャテイ、ボウジソワカ」
である。

現代人に呪文が良いと言っても、なかなか通用しない。
別に世間の俗人を納得させようという気もない。勝手にいつまでも苦しんでいればよく、そうすれば、やがては苦しさに耐えられず、道を探すだろう。
その時に、ようやく呪文の意義を感じる。
まあ、残念ながら、私もそのクチだ。
狭い自分の世界から抜け出すには、自分を壊せば良い。
自分が「凝る」、つまり、小さく凝り固まることをやめれば、自分が壊れ、広く広く広がる。
自分を壊すとは、自我を消滅させる、つまり、無我、忘我、没我となることだ。
そのためには、私がいつもお奨めしている腕振り運動を淡々とやるか、呪文を淡々と唱えるのである。
そして、呪文は堅苦しく唱えちゃあいけない。ミクのように嫋嫋と唱えるのだ。
良かったら、全体が素晴らしいので『イーハトーヴ交響曲』を聴いて欲しい。
実は、これを聴くだけで心が広がると思う。

かごめかごめ
かごの中の鳥は
いついつ出やる

この、古くから伝わる有名な歌は、密教の教えである。
そして、ミクがパソコンから呪文で出たように、我々も、自分の狭い心から出て、神の心の中で思い切り広がるのである。
いつ出るか?
それは「今」である。









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