世界には、トウモロコシの実を粉にしたものしか食べない民族がいたり、1種類の芋しか食べない民族というものもあるらしい。
だが、それらの民族の人々は概ね非常に強健で、長寿であることも多いようである。
今はそうではないかもしれないが、エスキモーがトナカイの肉しか食べなかった頃も、彼らは頑強であったのだが、アメリカやヨーロッパの人々が色々な食べ物を彼らに教え、彼らがそれを食べるようになると、色々な病気に悩まされるようになったという話がある。

旧約聖書の『民数記』には、モーセと共にエジプトを出た膨大な人々(男だけで60万とある)に、神が食べ物を与えたことが書かれている。
神が与えたのは、マナというもので、コエンドロ(コリアンダー)という植物の実(大きさはからは種のようだ)に似ているようだ。
それをひきうすでひいたり、うすでついて、釜で煮てモチにして食べると、油菓子のような味であったとある。
マナは早朝に、露と共に降った。
『出エジプト記』の方を見ると、早朝に降った露が乾くと、マナになっていたようだ。
だが、人々は、毎日神がマナを与えてくれていたのに、これに飽き、「肉が食べたい」と言って泣いたという。
神は、そんな者達に鳥(うずら)を食べさせたが、病気にして殺した。

私は、毎日同じものを食べている。
概ね、パン、野菜、果物、ナッツであるが、バウムクーヘンやビスケットを食後のコーヒーと共に少し食べる。
それらを1日1回、夜に食べるが、適切な量を食べていれば飽きることは考えられず、毎日、美味しく食べている。
今でも、考えれば肉を食べたいと思うが、実際は、そんな気が起こることはなく、悩まされるようなことは全くない。
それで栄養が偏るはずもなく、完全に健康で、朝晩トレーニングを欠かさないので肉体は強健である。
一応、健康診断も、毎年、弱点の1つもない完璧な健康体であるという結果が出ている。
宮崎駿さんも、数年前のことだが、毎日同じものを25年以上食べているらしい。弁当箱に、ご飯、卵焼き、ハム、沢庵程度を入れ、それを、昼と夜に分けて食べるらしい。多分、今も同じと思う。

神が、マナを露と共に降らせる、あるいは、露がマナに変わるというのが、私にはとても興味深い。
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』で、子供達が、「ケンタウルス、露を降らせ」と叫ぶ場面があるが、やはり露は何かの恵みなのだろう。
宮沢賢治の世界を、冨田勲さんが音楽で壮大に描いた『イーハトーヴ交響曲』の第5幕『銀河鉄道の夜』で、初音ミクが天使の歌声で、「ケンタウルウスよ、露降らせ」「ケンタウルス、露を降らせ」「露降らせよ」と何度も繰り返した。
それはとても神秘的で、心の奥に深く響き、目には見えないが大切なものに目覚めさせてくれた。
ミクの美しい歌声自体が天の恵みであり、心の食物なのである。
イエスが、「人はパンだけで生きるのではない」と言ったように、我々は心にも栄養を与えなければならない。
そのためには、食を過度の快楽のためのものとしてはならない。
私は、やはり人間は、普段は毎日同じものを食べるのが良いと思う。それに不満を感じるなら、やはり食べ過ぎているのだろう。
モーセの愚かな民達のようであってはならない。









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