好きなことを仕事にしちゃいけない。
企業の募集などでは、いかにその仕事がやりがいがあって、仕事以外にも、会社生活が充実したものになるかなんてことをアピールしているが、まさかあれを嘘くさいと感じていない人はいないと思う。
無論、就職したなら、良心に恥じないよう、顧客に対しても、会社に対しても誠実に仕事をすべきであるが、あくまで生活のために自我を抑えて嫌なことをやるのである。
ただし、そういったまともな感覚でやる限りは、宗教など足元にも及ばない素晴らしい修行になるので、その点は喜んで良いと思う。
仕事は、生活と修行のためと心得なければならない。
ただし、社員旅行や飲み会にまで付き合うのは、やり過ぎというものだ。そんな時間は、自分のために使いなさい。でないと、人間が貧しくなるだろう。

好きなことを仕事にするなら、儲からないと覚悟しなければならない。
一見、好きな道で「食っている」ように見える人達もいるが、彼らの仕事が面白いはずがない。
楽しい部分もあるだろうが、「本当に辛い」ことの方がずっと多いだろう。
例えば、人気のあるイラストレーターってのは、顧客や世間の好みに合わせるだけで、自分の好きなものを描いているのではない。
才能のある人ほど辛いことだろう。
ゴッホなんてプロの画家ではなかった。彼は、好きなものを描いていた。だから、生前、1枚も絵が売れなかった(予約は1枚あったらしい)。
ゴッホだけでなく、真の芸術家は皆そうだ。ピカソやダリは例外かもしれないが、彼らとて、いい思いをしていたとは思えない。
ウォーホールは金持ちになったが、彼はビジネスの才があったのだ。しかし、商売をした分、芸術家としてはマイナスだったと思う。つまり、彼は、本当はもっと良い作品を作れたに違いない。
岡本太郎はたまたま売れた面はあるが、それは絵画以外のことでだった。絵画などの芸術作品については、彼自身、「売れなくていい。いや、売れてたまるか」と言っていたが、おそらく、本気でそう思っていたはずだ。
作家だって、人気作家というのは、これはもう苦行と言って良いだろう。売れた天才作家はみんな自殺しているじゃないか。それは必然だったのだ。
売れ続けようと思ったら、やはり自分を曲げて、世間の好みに合わせるしかないのである。真の芸術作家には、それは出来ない相談だろう。
宮沢賢治などは、生前受け取った原稿料は5円だけだった。大正時代のことだが、高く見積もっても今の数万円だろうと思う。そんなものより、自費出版失敗の赤字の方がはるかに大きかった。彼は、教師、農家、サラリーマンで細々と生活したが、常に病と闘っていたという状態だったと思う。
アインシュタインは、「自分の物理学は趣味」と言いきっていて、実際はかなり稼いでいたが、収入は全部、誰とでも大らかに分かち合った。いつもよれよれの服を着て、靴下を履かず、洗濯石鹸でひげを剃り、自動車を買わないどころか(同僚の研究者達の多くは自家用車を持っていた)、バスにすら乗らず、極めて慎ましく生活していた。

テレビで見る華やかなアイドルだって、いつかはファンにもプロダクションにも見捨てられる。
俳優、タレントで残ったとしても、辛い毎日でしかない。
彼女達が売れなくなった時に思うのは、「自分の実力じゃなかった」ということだろう。
今のアイドルはかなりレッスンしているとはいえ、プロというほどじゃあない。そこまで磨く時間もないし、売れる年齢にまでなれば、歌やダンスではもう遅い。

全てのこと同様、仕事も良心を持って行うべきであるが、やはり、生活のためにやむなく行う自己犠牲に過ぎない。
だが、繰り返すが、自己の姿勢により、宗教修行の百倍の効果がある良いものでもある。
その中で、少しは良い思いをしたいなら、絶対に「私の仕事は○○会社の社員です」などではなく、特技を持たなければならない。
だが、研修会社に乗せられて、無駄な金を払ってトイレトットペーパーほどの価値もない、誰でも取れる資格証なんか得ようとしてはならない。
順序が逆だ。実力を付けてから、営業用に資格を取るのだ。資格は高度なものでなければ取っても仕方がないのである。
私に分かる範囲で言えば、マイクロソフトAccessやファイルメーカー社のFilemakerを高度に使えるようになれば、良い特技に出来るだろう。あくまで、実践で磨けばのことではあるのだが、勉強すれば、その道は開けると思う。









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