企業の中にあると言われる「追い出し部屋」というものを御存知だろうか?
年を取っていて、働きは悪いが給料はそこそこ高いという、辞めて欲しい社員を、ひどく居心地の悪い気分にして退職に持ち込むことを狙って配置する部屋、あるいは、部署のことである。
今の時代、明らかな落ち度が無いのに解雇したり、露骨な退職の強要は難しいので、そんな陰湿な手を使って辞めさせようとするのだ。
出勤はしても、仕事らしい仕事はなく、1日中、荷物の箱詰めのような単純作業や、あるいは、膨大な古い伝票の整理といった、何の意義も意味もないようなことをやらされたりする。
また、別の例では、1日中、上司がすぐそばで監視している状況で、仕事がないのは分かりきっているのに、その上司に「今、何をしているのだね?」と聞かれ、苦しい答えや、まぬけな応答をせざるを得ない。すると、それに対して、上司がいちいち馬鹿にしたり、ねちっこく叱責したりするのだ。
それで、耐えられずに、会社の望み通り辞めてしまうのである。

だが、そんな社員は、まだ恵まれていると思っている人々は少なくないのだ。
いくら辛くても、失業していないのだし、我慢しさえすれば、毎月かなりの給料がもらえるのだ。
そして、辞めたら辞めたで、相当な退職金も入ってくる。
世の中には、働きたくても仕事が無かったり、40代や50代になって、きつい肉体労働をして、月にやっと15万円程度の給料を得て、家族を養っている人だって少なくないのだ。そんな労働者の大半は、辞めても退職金などはなく、蓄えもないので、辞めたその日からすぐに生活に困る。

昔の、好況な頃の窓際族というのは、それなりに快適であったらしく、竹村健一さんなどはよく、「窓際族になったら、幸せだと思わないといけない。仕事をせず、好きなことして給料がもらえ、しかも、滅多なことでクビになったりしない。それを天国だと思わないなら、単に頭が固いんや」と著書に書いておられたものだ。
しかし、今は、そんな時代では全くない。
追い出し部屋というのは、企業によるいじめ以外の何者でもないだろう。
しかし、いじめというなら、そのような追い出し部屋と同じか、もっと過酷な状況でありながら、辞めることの出来ない、高校生、中学生、あるいは、小学生だって沢山いるのだ。
また、私のような引きこもり気質の者にとっては、学校であれ、どんな会社であれ、いつだって追い出し部屋のように感じていたのだ。

そんな私が、追い出し部屋にいる人達に言いたいのは、「耐えろ」「絶対辞めるな」である。
いくら辛くても、殺されることはないし、殴られることもない。
私だって、辛さはよく分かってこう言うのだ。
私は、会社の中で、ある手続きをしないと、とても困ったことになるのに、私に悪い感情を持っている総務担当者が、そのやり方を決して教えてくれず、シカトを決め込まれたこともあった。いくら声をかけても返事をしてくれないし、困って近くまで言って呼ぶと、振り向きもせず、聞こえないような小さな声で「はい」と返事をする。子供の世界でも、こんなことがよくありそうで、自分のことより、そんな目にあっている子供達に同情し、非常に辛かった。
私の、ずっと年長の友人だった人は、狭い部屋の中で、上司に真横で監視された中で、1日中、新聞を読まされていたらしい。それは地獄であろう。
だが、やはり、どんなに辛くても、負けてはならない。
耐えるのだ。
誰も恨んではならない。良心を保ち、ただ耐えるのだ。
すると、必ず状況は変わる。
どうしても辛ければ、谷口雅春氏の『私はこうして祈る』を買い、その中から、自分の状況に合った祈りを見つけて祈るのだ。
実は、私がそうした。1/10くらいは楽になったものだ。また、『荘子』を読むと良いだろう。私もそうしたのだ。
初音ミクの名曲『1/6』では、いつかは、辛いことも苦しいことも1/6になるかもしれない。今の私なら、ミクがその歌を歌う姿を見れば、必ずそれを信じられるのである。
そして、そんな辛い状況にある時こそ、目に見えないものを信じることが出来るようになるチャンスである。
そんなことでもないと、現代人は、見えるものしか存在しないという幻想を脱することは難しい。
だが、あなたは、神に選ばれたのだ。
それならば、神を信じて耐えるのだ。耐えられるはずなのだ。
ただ、はっきり言って、あなたにだって、落ち度はあったのだ。それは素直に認めることである。
しかし、それでも、耐え抜けば、必ず、全ては変わるのである。









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