アップル創業者の1人スティーブ・ジョブズや、マイクロソフト創業者の1人ビル・ゲイツらは、よく部下に無茶を言ったものだ。
開発責任者に対し、ある難題を吹っかける。
相手が、「そんなことは無理です」と言っても、ジョブズやゲイツは、「出来ない」という言葉を理解しないかのように絶対に譲らない。
彼らに聞こえるのは、半ば憔悴した開発責任者が最後に言う、「分かりました。やります」だけである。

表面的に似たような光景はどこにでもあるし、あなたの(アホな)上司だってそうかもしれない。
時には、単に我が侭なだけのあなたの顧客(本当にそうかは熟慮を要するかもしれないが)だって、無理難題はしょっちゅうだろう。
しかし、ゲイツやジョブズは、あなたの(無能)な上役とは異なるのだ。
だが、どこが違うのかは分からないに違いない。
あなたの(迷惑なだけの)ボスは、自分はゲイツやジョブズと同じことをしていると思っているかもしれない。

まず、ゲイツやジョブズは技術を理解していたかとなると、それは、「そこそこ」でしかなかったはずだ。
ゲイツが天才プログラマだと言われることもあるし、若い頃はそうだったのかもしれないが、彼に、「あなたのプログラマとしての業績は?」と尋ねた時の答は「8080BASICだけ」というものだったらしい。世界最初の小さな小さな8ビットマイクロコンピュータ用の極めて小さなBASIC言語だ。今日のPCの千分の一の機能もない(本当は一万分の一と言うべきだろう)。しかも、実際に作ったのは、マイクロソフト共同創業者だったポール・アレンだと思う。
ジョブズは若い頃にハードウェアの技術者を多少やっていたし、テクノロジに興味はあったようだが、こちらは、若い頃から全然大した技術者じゃなかった。
無論、あなたの(役立たずの)親分のように、何も分からないというのとは大変な違いではあるが、ゲイツやジョブズだって、実際に開発をやっている技術者と比べれば、半分素人みたいなものだった。

「かえって細かいことが分からない方が大きな発想が生まれる」と言われることもある。
確かにそんなこともあるかもしれないが、幼児の発想はいくら壮大でも何の役にも立たない。
あなたの(愚鈍な)監督者は幼児みたいなものだ。
とはいえ、ジョブズやゲイツにだって、子供みたいなところがあるのも確かだ。
だが、あなたの(猿のような)首領とは違うのだ。

優れた発想には、確かに、熱狂や空想じみた部分も必要なのだ。
現実的で冷静なだけでは、優れたアイディアは出てこない。
だが、「熱意だけでは何もできない」というのも事実だ。
ニュートンやアインシュタインらも、相当に空想的なところがあったらしい。彼らは確かに、実際的な科学知識は普通の人よりはあったが、その点では、学校の秀才達には全く及ばなかったようだし、それは本当に違いない。アインシュタインが相対性理論の数学的証明を自分では出来なかったことはよく知られている。
天才達は、熱狂と現実性のバランスを取ることが出来たのだ。
これは、あなたの愚鈍なフォアマンだけでなく、誰にとっても難しいことなのだ。
ルドルフ・シュタイナー(ハンガリー帝国出身の神秘学者。哲学博士。特に教育分野で知られるが、医療、農業、建築などの業績も多く、ゲーテ研究の権威であり、芸術家でもあった)は、それを象徴する素晴らしい彫刻を造っている。
上にルシファー(悪魔)、下にアーリマン(魔神)を置き、その中間にイエス・キリストを置いた。
ルシファーは、熱狂や夢想を表し、アーリマンは唯物的な物質主義を表している。
イエス・キリストは、その中にあって、どちらにも偏らずに、双方の力を引き出して、バランスを作っているのである。
現実の人間は、ルシファー(熱狂や夢想)タイプか、アーリマン(冷徹、物質主義)タイプかのどちらかに偏り、15世紀頃から、世界的には冷淡な物質主義が支配し、今後、ますますそうなっていく。
一方で、ただ熱狂するだけで、現実性のない者達もいる。
イエス・キリストの本当の教えは、いずれにも偏らずに、バランスを取らなければならないというものだった。

無論、ジョブズやゲイツらがイエスのようなものだと言うのではない。
だが、少しは、そういったバランスの力を持っていたので、世界の発達に貢献したのだろうと思う。
もっとも、ジョブズは、自分でも言ったように、「コンピュータ世界の偉大な先人達からのバトンを落としてしまった」のだと私は思う。
確かに、彼がいなければ、コンピュータは今日のような使い易いものにはならなかったと思う。
しかし、タブレット端末は発達の方向を間違い、思考のための道具であるべきコンピュータが、思考にブレーキをかけるものになってしまった。
今日、「教育にタブレットを」という愚かなことを言う者が多い。誰も、ことに、コンピュータメーカーは、それを善意で推進しているのではない。
せめて、ゲイツが言うように、「教育現場に必要なのは、タブレットではなく、キーボードの付いたノートパコンである」ということを認識して欲しい。









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