昔、中国で、ある偉いお坊様に、誰かが、「一言、お教えを!」と願った。
すると、お坊様は、こう言った。
「善いことをせよ。悪いことをするな」
言われた方は、ややがっかりし、
「そんなことは子供でも知っています」
と不満げに言った。
すると、お坊様は、
「だが、行うのは老人でも難しい」
と答えた。

素晴らしい教えではあるが、私は、それよりも、老人はもちろん、子供でも、善いこととは何かを知っているということに気付き、感激した。
人間の中には、やはり、良心があるのだと確信したのだ。
これに関し、あのジクムント・フロイトの考えはこうだった。
人間には、普通の自我とは別に、超自我というものがあり、良心、道徳観、倫理観などは、その超自我が司っていて、悪に陥り易い自我に対して、怖いお父さんのように、悪いことをしないよう命じたり、裁いたりするのである。
カール・グスタフ・ユングは、超自我というものは認めなかったが、それでもやはり、自我に対して、善い考えや行いをさせようとすものがあると考えていた。
フロイトとユングの考え方の違いは、フロイトは超自我を個人的なものと考えており、ユングは非個人的なものだと考えていた。
ユングは、そのような善に導くものを、個人を超えたマナ(神秘的な力)であると考えていた。マナは、ユングの言う、個人を超えて存在する集合意識の中にあるものだということだろう。
しかし、フロイトは、ユングの言う集合意識を決して認めなかった。
ユングはフロイトの後継者と言われていたが、あれほど優秀な二人が、ひどく仲が悪くなってしまったことも知られている。
一方、やはりフロイトの後継者と言われたアブラハム・マズローは、フロイトとの意見の違いはあったが、こう語っていた。
「私はフロイトを否定してはいない。ただ、フロイトの深い意味を追求していたのだ」
神秘的なユングに比べ、マズローは現実的であったと考えられていると思うが、実際は、マズローの自己超越とか、至高体験などは、やはりとても神秘的で、案外に、ユングとマズローは近いように感じるのである。

医学的には、フロイトの超自我の考え方の方が、一定の評価を得ていると思うがそれは当然だろう。
なぜなら、世俗の学問が、目に見えないようなものを受け入れるはずがない。医学では、超自我は、脳の前頭葉にあると推測していることがあるようだ。
しかし、私は、良心とは、個人を超えた、大きなものの中にあるのだと確信している。
その大きなものとは神の魂と言ってよく、我々は、良心を大切にすることで、精霊である、この神の魂と結び付くのだ。
私は、良心を守ることを何よりも大切に思っており、それが出来るよう、ある程度の物質的な強さを得て、霊的なものと、地上的なものとのバランスも取らなければならないと思うのである。









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