私は、完全に食を断つ断食や、過激な荒行の類は、自分もやる気はないし、よって、人様に薦めることもない。
だが、私は、当分、断食することにした。

本日、精神を非常に乱し、喉が枯れるほどに怒号するほど激怒したのだが、普段の修行の甲斐もあり、一瞬で冷静に戻った。
だが、この出来事はチャンスである。
最近、食べ過ぎていたのだろう。
相変わらず、1日1食で、菜食主義であるが、元々、会食等の時は、肉は絶対に避けるが(本音は今でも食べたい)、魚介類は食べることもあった。それで、季節柄不可避として、カニ鍋を食べることもあり、今日は、自発的に鍋にしようと家族に薦めたりもした。そんな時は、満腹に近いまで食べることもある。
今日などは、仕事も既に休みに入っていて、1日中何もせず、しかも、暖房の効いた部屋にいて、それでいて、夕食の時間が来たら食事をするのを楽しみにしていた。
海外はおろか、日本、そして、身の回りでも、今日も、そして、年末やお正月でも仕事をする人もいるのである。
自分が恵まれているからといって、あまりに甘えていたように思う。

そして、挙句の、激しい精神の乱れは必然である。
アセンション(次元上昇)後、闇の勢力の反撃も強力になってきている。
それは、精神攻撃である。
私のような、ある程度の難敵には、日常が放埓(勝手きまま)になるよう巧妙に働きかけ、精神を弛(たる)ませてから負のエネルギーを送り込むのだろう。
なるほど、かなりの威力だ。
これが、普段、食や性の欲望を貪り、傲慢になっている者なら、地獄への道を真っ逆さまに落ちるか、あるいは、自殺をしたりするのだろう。
煙草を吸いながら歩いたり、スマートフォンを見ながら人ごみを歩いたり、電車の中で臭いを撒き散らしながら食事をする者は、全く減らず、むしろ増えているように感じるが、そんな者達は、急激に悪鬼の特徴を現し出し、醜悪で目を背けたくなるような姿に変化している。
無論、地球上では、万物の波動は精妙になり、その影響を受ける人間も多いのだが、それは、極めて慎ましく、暮れ、正月も働かねばならないような人たちである。

瞬間的とはいえ、精神を乱し、激怒したのは、闇の天使の攻撃ではあっても、それもまた運命である。
激怒したというより、させられたのであり、このこと自体は避けられなかったことであり、悔やんではならない。
だが、これを機会に精神を切り替えることは私の役割である。何でもかでも運命だなどと言うのではなく、精神の活動に制限を加えることだけは人間の仕事なのである。
激怒した相手にも、良いことだったのだろう。私も同様であるが、相手も、それで何かに気付かないなら、もう死んでも良いかもしれなと思うのだ。

食べ過ぎて余分にたまった荒れたエネルギーは解消しなければならない。
当面、食を断ち、食べるとしても、もっと粗食にしなければならないだろう。
他の人たちから見れば、私の現在の食事でも十分に質素と言われるかもしれないが、そんな世間の基準はどうでも良い。
もっと、食べ物の有難みをしっかり感じるように、本当に空腹な時のみ食事をするのでなければならない。
世間が美食にふける時こその断食である。愉快と言うべきかもしれない。無論、こう言う時は、空腹という意味ではなく、精神的には辛いものである。だが、これが自我を屈服させる良いチェンスなのだ。滅ぼす者は陽気である。









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