政治を批判する人は多いが、実際に政治が駄目なのだとしても、その大きな原因は、タレントや有名な元スポーツ選手が立候補したら、本当に投票して当選させてしまう我々に最大の責任があるということと思う。
タレントに投票する人っていうのは、人生において、何かのプロになったことの無い人ではないだろうか?
そして、自主性なく、たやすく操られるという、信念の無い人だろう。
政治は素人にやれるものだろうか?
政治だけが、素人でも通用するのだろうか?
軍隊経験の無い者を、「やれそうに思えるから」と、大佐にしたらどうなるだろう?
医療経験の無い者を、「やってくれるに違いない」という思い込みだけで、外科部長や病院長にしたらどうなるだろう?
ちょっと面白いフリーソフトを作ったからといって、素人を開発部長にしたら、その会社の開発部はどうなるだろう?
いや、こう問うても、やはり、何かで本当にプロになったことの無い者は、それがどれほど恐ろしいことか分からないかもしれない。
しかし、冷静になれば、「何かヤバイ」ということは感じるはずだ。
そうであるなら、これまでのように、野球やサッカーのオールスター出場選手を選ぶのと同じ感覚で国会議員の投票をしたりはしないだろう。

この3年、素人が国を運営していたように思える。
本当に「ヤバかった」のだ。
小沢一郎さんのことが「豪腕」と言われることがあるが、あの人はむしろ「辣腕」、つまり、凄腕のやり手である。しかし、政治家として何か出来る訳ではない。
ご本人もそれはよく分かっているので、政策を先頭に立って推進するのではなく、黒幕になって党を動かすという重要な仕事で成功していたのだが、それで立たせてもらった人達が、小沢さんへの恩義を忘れたのが民主党崩壊の原因のように思う。古いようだが、人間、恩を忘れちゃいけない。
政治は、素人から悪いプロの手に移ったかもしれないが、プロはプロだ。自分の首は絞めたくないだろうから、ある程度のことはちゃんとやるだろう。

テレビでは、街中の、新政権に期待する人たちの声ばかり切り取って放送するようなことがある。
「民主党の政治で、私はすっかり不幸になった。新政権に期待する」
といったものだ。
しかし、言っておく。
野田政権で駄目だった人は、安倍政権でもやっぱり駄目なのだ。
もっと壮大なレベルで、ジョージ・アダムスキーがこう言っていた。
「地球でうまくやれない人は、進歩した星に行っても、やっぱりうまくやれないのだ」
まさしく、その通りである。
自民党だろうが維新だろうが、オバマだろうがクリントンだろうが、円高だろうが円安だろうが、私には何の関係もない。
私は安倍政権に何の期待もしないが、安倍政権が駄目だと言うのではないし、さりとて良いというのでもない。早い話が、さっぱり分からない。
しかし、いかなる政権下であろうと、私は確実にうまくやっていく。
ここでも、ジョージ・アダムスキーが言った通りだ。
「一度に着れるスーツは一着だけだ。私はそれ以上欲しいとは思わない。しかし、それが得られないなら、私は愚か者だということだ」
ほんの少しの、自己制約と沈黙を持っていただけで、私に不幸はやって来なかった。
自己制約とは、放埓(勝手きまま)の反対で、自己に制約を課すことだ。
沈黙とは、余計な言葉と、心の妄想を慎むことだ。
総じて言えば、精神活動を制限し、生命体に主導権を委ねることだ。
私はプロのシステム開発者だが、世間で言うプロの開発者の観念には何の興味もない。むしろ、全く異なる信条でやっている。それで良い思いばかりしている。内なる生命体が導いてくれれば失敗は絶対に無い。
あなたも、下らないお喋りや、とめどない空想は止めて、精神活動を制限し、沈黙を守ることだ。
そうすれば、恐るべき生命体の力を知ることになるだろう。









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