我々は、幼い頃から、そこそこの結果を素早く出すことを求められてきた。
一定時間内に沢山の問題に正解を出さないといけない学校の試験や入学試験がその代表的なものだろう。
ふと閃いた疑問を口にしても、「それは試験に出ない」と一蹴されてしまう。
しかし、ふとした疑問ほど重要なものはない。
エジソンなんて人は、いつも「なぜ?」だらけだったし、それは教師に答えられないような疑問が多かったので、すっかり教師に嫌われ、教師がいじめるだけでなく、教師は、他の子供達にエジソンを馬鹿にするよう誘導したので、エジソンは級友達にもいじめられ(蔑む相手には何をしてもいいのが学校だ)、学校にいられなくなって、結局、学校を8歳でやめた。
岡本太郎の場合は、転校は何度かしたが、最後に寄宿舎に入れられた時は、耐え続けるしかなく、真剣に自殺を考えたらしい。

テレビのコマーシャルでも、「気持ちいいと思ったら、即、買え」というものばかりだが、それらは、食欲、性欲、見栄といった、人間の弱いところを良心の欠片もなく煽るのである。すると、学校で、ものを考えないようになってしまった者は、どんどん買ってしまう。
広告、コマーシャルというのは、以前はもっと良いものだったはずなのだが、利益第一、快楽第一になってしまったのである。

我々は、丁寧にやるということを忘れてしまったことに気付かない。
呼吸すら、せわしく、いい加減にするようになっている。
車にばかり乗って歩かないから、きちんと歩くことも出来ない。
食べる時も、人工的に美味しく調理されたものをせかせか食べているので、ますます大食になる。
日常のことを丁寧にやるだけで、少食になって、健康になるのである。

私が日頃お奨めしている腕振り運動も、それなりに広まっているのだが、せかせかやっている人が多いだろう(それでもやらないよりは良いのであるが)。
腕振り運動・・・中国ではスワイソウと呼ばれているもので、インドの達磨が起源と言う者もいるが、よく分からない。気功の中にも取り入れられている場合が多いようである。
ただ自然に立ち、まっすぐに伸ばした腕を、両腕同時に前後に振るだけの簡単な運動である。
てのひらは、内側に向ける場合が多いが、下に向ける流派もあるようである。
後ろに振る時にやや力を入れ、前に振る時は惰性で自然にまかせる。逆に、前に振る時に力を入れる武道派もあるようだ。
関英男博士の報告によると、彼は、これだけで医療に頼らずに胃癌を完治させ、他にも多くの人が難病を何でも治している。
しかし、これも、うんうん唸りながら必死で、あるいは、回数をこなすためにせかせかやっている者が多い。
1回1回を丁寧にやるなら、百回でも良いのである。
一度は、一日数千回とやるのも良いのだが、やがては、細心の気を配りながらやるようにしないといけない。

ところで、丁寧にと言うと、力が入って堅くなる者が多い。そして、停止してしまうのだ。
愚かであるが、これも学校教育の弊害だろう。
丁寧にやる意味すら分からないのだ。
腕振り運動を、本当に丁寧にやったら、それはもう楽しいものであるし、美しさを感じるし、春を思わせる至福である。
細やかに神経を働かせるが、柔らかく、優雅でなければならない。
逆に、そんな風に腕振り運動をやることで、本当の丁寧さを身に付けることもできる。
そうすれば、猫だって寄ってくる。最近は、猫の喉の撫で方が下手な人が多いが、丁寧さを知らないからだ。
魚だって、丁寧に釣りをしている人には、寄ってきて釣られたがるのである。
画家の横尾忠則さんや、発明家の政木和三さんらが、釣りをやったら、他の人達がさっぱりな中で、やたら釣れてしまった話を本に書かれているが、真相はそんなものである。
丁寧な商売や製作をすれば、良い売れ方をするし、お金を丁寧に扱えば、どんどん寄ってくる(ただ、金は過度に入ると、粗略に扱うので、限度を知るのが良い)。
無論、可愛い女の子だって、いくらでも寄ってくるだろう。女の子が優しくされるのが好きなのは言うまでもない。
無理矢理、売りつけたり、女の子を口説く必要もないのである。猫を無理矢理、引っ張って来れないようなものである。









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