我々は、幼い頃から、正直じいさんになるよう教えられる。
欲を無くし、足るを知る清らかな人間になれということだ。
しかし、現実の我々は、欲にまみれている。

ZARDの『あの微笑を忘れないで』という歌の中に、坂井泉水さん自身の詩で、
「やりたいこと、欲しいものも抱えきれないほどで」
という歌詞がある。無欲と程遠い表現だが、悪い感じはしない。若い人がそうであるのは健全であることだ。
しかし、一方でこうも書かれている。
「ぬるいコーラしかなくても、夢だけで楽しかった」。

親が、子供に立派な人になって欲しいと思うことは、欲望ではあっても当たり前のことだろう。
そこに教育産業がつけ込み、良い大学に入れば将来はバラ色だなどという嘘で煽る。
そして、親も、「一流大学の、学部は法学部に入らせ、将来は官僚にしよう」などという馬鹿な欲望にとりつかれるのだ。
もちろん子供は一流大学を出た後、家に引きこもるのだ。そうでなくて、本当にエリートになればもっと悲惨な目に遭う。ニートで済めばマシなほどだ。
だが、良い親であれば、子供に、本当は「健康でさえあればいい」と思っているものだ。

『スター・ウォーズ』では、才能溢れる青年アナキン・スカイウォーカーは、フォース(力)の闇黒面に飲み込まれ、悪の権化ダース・ベイダーになる。
それがフォースの危険なところであることは知られていた。それなのに、師のオビワン・ケノービや、さらにその師で最高のジェダイであるヨーダが、それを阻止出来なかったというのは面白い話だ。
その運命であれば、落ちるところまで落ちる必要があるのだろう。
だが、ダース・ベイダーは、長く悪徳の栄えに携わったが、息子のルークの危難を見て、最後の最後に目覚めた。
これは物語ではあるが、どうも、神も、大抵はそんなシナリオを創るように感じるのだ。

ロバート・モンローの『魂の体外旅行』という本の中に、「高級車に乗りたいというのも、単にそれが楽しいからというのであればいいことだ」と書かれていた。だが、虚栄心のためにそうすれば、やがて悲惨を味わう。また、最初は比較的純粋であっても、優越感という快感が道を誤らせることも多いだろう。

では、人間はどうすれば良いのかというと、直感を大切にすることだ。
欲望の自我というものも、受け入れて良い。むしろ、それを否定すると歪みを生む。宗教的に厳格に育てられた者がかえって変質者になるようなものだ。
自我は受け入れるべきであるが、神や宇宙の英知をそれに優先させなければならない。そして、人間が、神を知る方法は直感しかない。
現代人は、直感を失くしているから不幸なのだ。
古代の日本には、恐るべき文明があり、現代の科学でも分からないことを完全に知っていたが、それは、古代の日本人が優れた直感を持っていたからだ。
アトランティスもそうだろう。
だが、彼らの中にも、フォースの闇黒面に飲み込まれた者・・・つまり、自我を神より優先させた愚か者がいたということである。

直感を得る鍵は沈黙だ。
口に出す言葉も、頭の中のおしゃべりも、出来る限り控えることだ。
余計なことは言わないことだ。沈黙の時間を持つことだ。心を静かに保つことを正しい瞑想と言うのである。

落としたのは、金の斧か、銀の斧か、鉄の斧かと聞かれたらどうする?
「神様、本当のことは御存知でしょう?でも、私は金の斧が欲しい。良かったらいただけませんか?でも、落としたのは鉄の斧ですよ」
神様も、銀の斧で手を打ってくれるかもしれない・・・

大きな箱より
小さな箱に幸せはあるらしい
どうしよこのままじゃ私は
あなたに嫌われちゃうわ

でも私より欲張りなパパとママは今日も変わらず
そうよね 素直でいいのね
落としたのは金の斧でした

嘘つきすぎたシンデレラ
オオカミに食べられたらしい
どうしようこのままじゃ私も
いつかは食べられちゃうわ

その前に助けに来てね
~『ロミオとシンデレラ』(作詞・作曲:doriko、歌:初音ミク)より~









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