サラリーマン五年目さんからのコメントが良かったので、お答えしたい。
他の方々にも有益な、良いコメントや質問をお願いしたい。

【コメント】他人の目を評価を気にしなくなると人生は楽に生きられますよね?自分はかなり気にしてじまう性格でこの性格を変えたいです。Kさんはどう考えますか?他人にきを使わない性格を身につけたいです。

まず、なぜ他人の目が気になるかというと、その他人と同じ価値観を持っているからだ。
その他人とは、おそらく、世間の普通の人のことであろうから、つまり、自分も世間の価値観を持っているということだ。
世間的価値観を持っているから、世間の人の目が気になるのである。

中には、「いや、俺は世間的な価値観は持っていない。自分独自の価値観で生きている」と言う人もいるだろう。
しかし、それでも、他人の目が気になるなら、やはり、かなり世間の価値観に毒されているのである。

真理を言うなら、他人というものは存在しないのだが、世間的価値観を持つ普通の人である限り、他人は現実として存在する。
そこで、まずは、世間の価値観を疑うことから始めなければならない。
確かに、世間で価値あるとされているものは、ほぼ全て無価値ではあるのだけれど、なんでもかでも否定すればいいってものでもない。
しかし、まずは、なんでもかでも、鵜呑みにするよりは疑うのだ。
理性を正しく導くことが必要であるが、それには、今でもデカルトの『方法序説』が役に立つ。
この、12歳の子供でも理解できるように書いたという、短い「理性を導く方法」は、あまりに軽視されており、本来、誰でも一度は読んでおくべきものだ。
デカルトは、「単に確からしいと思えるものは全て虚偽とみなす」というほど、徹底して疑ったのだ。

だが、最も大切なものは直観である。
デカルトだって、最後には直観によって、真理を悟ったのである。
それは、聖者の悟りとは言えなかったかもしれないが、それでも、世間の人の認識や価値観をはるかに超えたものだ。
デカルトは、自分が通った学校を賞賛し、教師達に感謝を捧げていた。おそらく、良い教育が行われていたのだろう。
だから、デカルトは、級友達の中に、自分よりはるかに優れた能力を持つ者達がいくらでもいたことを認める謙虚さを持てたのだ。
しかし、おそらく、我が国の学校には、何も価値はないのだが、それは、自らの直感の光で確認しなければならない。

理性を正しくするためには、可能な限り、不要なものを求めず、欲望を持たず、静かな心にならなければならない。
理性とは、直感力のある状態と異なるものではない。
直感を持つと、自ずと、世間の教義や信念とは、逸脱と迷妄、迷信であることが分かってくる。
マスコミでは、オリンピックで日本人がメダルを取ると、大絶賛し、メダリストをヒーロー扱いする。
オリンピックメダリストに何か価値があるだろうか?
何もない。
「彼らの努力を評価しないのか?」
と言われるなら、我欲のために努力することは、別に非難する気はないが、全く評価に値しないと言うしかない。
彼らは、金のため、世間の名誉と賞賛のため、ちやほやされる欲望のために努力をしたに過ぎない。
日本に元気や勇気を与えるためだとかいったことを、マスコミや、選手のスポンサーの大企業や、あるいは選手自身が言う。だが、競技で勝つことで、本当の活力を与えることは出来ないし、そもそも、元気や勇気は、与えるものでも、与えられるものでもない。
元気や勇気は、ある状態が自然なのであり、与えられないといけないなら、そもそも異常なのだ。メダリストを賞賛するような価値観を持っているから、元気も勇気も無いのだということに気付かなければならない。
もちろん、スポーツから良い影響を得ることは出来る。それは否定しない。
それはどのようなものかと言うと、勝者が敗者に敬意を示し、より謙虚な態度を取る姿だ。
しかし、オリンピックでも、敗者の前で無神経にガッツポーズを取って狂喜乱舞する醜い姿ばかりだ。そんな何の美徳も持たない選手達の姿は、子供達に見せてはならないものであると言って間違いない。

世間では、良い学校を出ていること、高収益の大きな企業の社員や公務員であること、収入が多いことが価値があることであるが、それらは全て、ただ運命でそうなったのであり、悪いことではないとしても、何の価値もないことである。
こういった、世間の価値観、世間の教義や信念とは全く異なる、正しい価値観を持てば、やがては、他人の目など、全く気にならなくなるだろう。
直感を得るには、真理を認識しなければならないが、そのためには、『バガヴァッド・ギーター』のクリシュナ神の教えが最上であろう。
ガンジーが生涯愛読し、あのエマーソンすら、この書から学び、一切の聖典を重んじなかったラーマクリシュナが、これだけは真の神の言葉と言った短い聖典である。
世間や、その代表格の学校が『バガヴァッド・ギーター』を読めということはない。学校とは、正しいことを教えないところだからだ。
そして、日本人であれば、古事記を読むことの価値は計り知れないだろう。
何と言っていいのか分からないので、とりあえずこう言うが、古事記に馴染み、そこに書かれた言霊に馴染むなら、神々はいつでも我々の味方である。
無理にそう思う必要はないが、自ずから分かるだろうと思う。古事記の表向きの意味にこだわってはならない。ただ、心静かに淡々と読むことである。特に、神々の名前に意識を向けるのだ。
本当の真理を知れば、もはや、他人というものは存在しない。気にするような他人の目など、初めから無かったことが分かるのである。
世界の中には、無数の個別化した自分が存在するだけである。









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