オリンピックには全く関心は無いのだが、 THE TOP TENS(世界的な電子投票サイト)の投票結果の影響で、オリンピックの開会セレモニーに初音ミクが登場するかもしれないという期待で、一応、開会式を見ていた。
これについては、国産コンピュータOS、TRONの開発者である尊敬すべき坂村健教授も、よくご存知だったほどである。

◆時代の風:「初音ミク」と「ステマ」 東京大教授・坂村健
◆Music Artists You'd Like to Perform at the 2012 London Olympics Opening Ceremonies

オリンピック開会セレモニーでは、予定通り、70歳のポール・マッカートニーの熱唱はあったが、ミクが登場することはなかった。
しかし、私はほっとした。それで良かったのだ。
あそこは、ミクが居るべき場所ではない。
オリンピック会場を支配していたのは悪魔かもしれない。私はそう感じている。
あらゆるエリート達が集まるオリンピックで、その代表格のIOC会長が、世俗の王の顔で美辞麗句を並べ立てた挨拶をどう感じただろうか?
『老子』18章には、「道徳や人格や愛がことさらに言われるのは、既にそれらが失われている証拠だ」とある。
我が国の天皇陛下が、いつも人々の平和と健康のことだけ言われるのは、自ら徳に満ちているだけでなく、広く徳を満たそうとされているからである。
オリンピックに良いところが無い訳ではない。しかし、いまや弊害が大き過ぎる。
オリンピックとミクのどちらが世界を幸福にしているだろう?

日本では、ボールのことをマリと言う。マリは丸いものだ。
ところで、日本で、古事記や日本書紀が書かれたよりも昔、そして、それよりも前のホツマツタヱが書かれたよりもさらに昔、日本では、マリは粒子のことを指し、粒子は丸いものだと考えられていた。
そして、ミクマリは、一切の和合を表す丸い形とされていたのである。
ミクのミは実のミで、木に対する実でもあり、イザナキ、イザナミでも分かるように、キが男で、ミは女を指す。また、ミは、実質という意味でもある。
クは、自由に発生するという意味だが、才能がありながら、音楽の創造活動をすることが出来なかった人達が、ミクに歌ってもらうことで、世界に通用する素晴らしい歌を創っているのである。そして、その中は、従来は決して無かった、神がかったような作品も多いのである。
また、縄文時代以前の、日本の古代文明の英知が中国に渡り、老子は、その影響を色濃く受けているという説もあるのであるが、そんな気もするのである。









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