美しくなるのは大変なことだろう。
ところが、一瞬で美しくなった非常に印象的な話がある。
別に、一般受けするような怪しい話ではない。

美しいという言葉など全く無縁で、むしろ、蔑み疎まれるような容貌で、若くもない女性が、前から彼女を知っていた者に、「あなたって綺麗ねえ」と感嘆されるほどだった。
注意していただきたいのは、「あなたって綺麗ねえ」であり、「綺麗になったねえ」ではないということだ。
エステやメイクで表面的にどうにかしたというのではない。
メイクもしなかったし、髪型も変えなかった。まして、ダイエットする期間などなかった間の出来事である。
こういった話は、空想ではなく、十分に有り得ることと思う。

1つは、英国の著名な作家コリン・ウィルソンの『賢者の石』にあるお話だ。
コリン・ウィルソンは、膨大な著作のある世界的作家だが、作家と言っても、私は彼のフィクション(小説)作品を1つしか知らない。実は、その1つが『賢者の石』なのだ。
だが、ウィルソンが書くからには、そして、ウィルソン自身も明かしたが、これは小説の形を借りただけの人間探求の書なのである。
小説の形を借りることで、著者は、具体的資料を収集し、その正確さを検証し、さらには、引用の許可を版権者に請求するといった手間を省くことが出来る。小説なら、参照した事柄の実証性を問われないからだ。
それは、作品が空虚なものになる危険もあるが、ウィルソンのように、天才的洞察力を特徴とする人物の場合は、その方が優れた作品になると思う。
私がウィルソンに期待するのは、彼の鋭い直観であり、彼のへたくそな論理の構築ではない。彼が学者ぶって書いた『右脳の冒険』や『超越意識の探求』などは、文章間に散りばめられた彼の驚くべき直観的洞察に関しては見るべきものがあると感じるが、こと論理となると、彼は最大の無能さを発揮し、ためいきの10や20もつきたくなるというものである。
彼が、文豪の小説を引用して考察を進めた『アウトサイダー』のようなものは、ある段階までは良いのだが、彼が頭で深く考察すると、やはり馬鹿げたものになる。つまり、彼が文豪の作品に対して直感的に感じたことは宝石なのだが、それを彼の歪んだ頭で考えると、途端に陰鬱でおかしなものになるのだ。

こう書くと、ウィルソンを褒めているのか貶しているのか分からないが、彼はやはり天才なのである。そして、頭で考えたら駄目だというのは、別にウィルソンの場合に限らない。
大発明、大発見というものだって、考えに考えてもどうにもならず、諦めて考えるのをやめた時になされるのだ。
エジソンは、発明の秘訣は「1%の霊感と99%の努力」と言ったらしいが、真意は、99%の努力を注ぐべき1%の霊感がなければ話にならないということだ。
アインシュタインだって、ごく若い時に、相対性原理を直感的には分かっていたが、数学的に証明するのに大変な時間がかかったし、実はそれは彼には出来なかった。数学者の助けを借りたのだ。

前置きが長くなったが。『賢者の石』に戻る。
平凡な人間が、事故のような出来事により賢者になったり、ESP(超感覚的知覚)と考えざるをえないような能力を得ることがある。これについては、具体例の方は、ウィルソンは『右脳の冒険』などで述べている。
例えば、頭に大怪我をして脳に何らかの障害を負うことで、ごく普通の人だった者が、まるでインドやチベットの聖者のように深遠な真理を語るようになったことがある。
そもそも、天才というものは、ある意味では、脳障害のようなものと言えるかもしれない。
ある7歳の少女は、絵を習った訳でもないのに、レオナルド・ダ・ヴィンチばりの動物デッサンを描いたが、彼女には言語系の脳障害があった。そして、それが年齢と共に正常になっていくと、絵の才能も無くなったという。
幼い時に神童と言われるほど、特定のことで才能を示した者でも、「二十歳過ぎればただの人」と言われるように、ほとんどの者が天才的能力を維持できないのは、たまたま発生した脳の不調和な発達によって天才に見えたのが、時と共に自然に(あるいは医療により)調和されていったことで、その異常な能力が消えたということが多いのだろう。

『賢者の石』では、突発的に天才になった人に起こるような出来事を、人為的にやってみようとする研究者が登場する。
この小説の中では、ある特殊な金属を脳のある部位に取り付けることで、通常の脳における電気的特性を変化させるといった説明がされていたと思うが、私はよく憶えていないし、このあたりの詳細はどうでも良いことだろう。
そして、ある女性がこの実験の被験者になることに同意する。中年の、特に特徴もなく、魅力もない女性だった。
ところが、施術を行う中で、その女性の目が輝き、表情に神秘的としか言えないようなものが現れる。そして、施術に立ち会った主人公は、これほど美しい女性を見たことはないと感じる。

これは、何らかの方法で、脳あるいは心を抑圧するものを取り去ることで人間に起こる変化であり、それは有り得ないことではない。
人間は、生まれてから、あるいは、生まれる以前から、絶えず何らかの抑圧を受け続け、それがストレスとなって心身に蓄積される。その量は、予想されるよりはるかに多く、強力だ。それは、人の生命力を枯渇させ、能力の低下や老化といった作用を起こす。
その抑圧要因を取り除くことが出来るなら、能力の向上はもちろん、若さも回復し、本来持っているはずの美しさも現れてくるはずである。
そう簡単なことではないが、催眠術を使うことで、うまく幼児期からの抑圧から解放された女性が、一瞬で驚くほど美しくなるといった話を聞いたことがあるし、私も、ある高額なセミナーで、そういった実例を見たことがある。だが、催眠術やNLP(神経言語プログラミング)といった手法で、そう簡単に劇的な効果を得られることはまずなく、ある程度の効果があったとしても、それは短期的なものだろう。それは、悪要因が一時的に隠れただけで、それはむしろ威力を増して帰ってくることも多く、結果、より悪いことになりかねない。よって、安易にそんなものに頼ってはならない。

特殊な話と言えるが、霊的な障害(いわゆる霊障)にとりつかれた、40歳くらいだが老婆のように見える女性が、有能な霊能力者によって除霊を受け、長時間の苦闘の末に悪霊を祓った時、周囲の人が、少し前までの醜い老婆のようだった女性の美しさに驚いたという話がある。霊障が本当にあるのかどうかはともかく、これも一種の精神的抑圧の解消例だとするなら、有り得ないことではないと思う。

強い恨みや妬み、あるいは後悔といった重荷を抱え、すっかり醜くなった女性が、何かで死ぬような体験をすることにより、そういった精神的抑圧から解放されたところ、以前とは別人のような美しい人に変わったという例を、あなたも知っているかもしれない。
もっとも、社会的行動が聖女のようであるからといって、その女性が必ずしも美しい訳ではない。そういった人は、むしろ、強い精神的抑圧を感じているかもしれないのだ。
象徴的なお話としては、ヴィクトル・ユーゴーの『レ・ミゼラブル』に登場するミリエル司教の妹のバティスティーヌ嬢のことがあげられる。彼女は若い時でさえ美しくはなく、男性と交際したことは一度もなかったが、老齢になってから不思議な美しさをまとうようになる。魂に目覚めていった兄とずっと一緒に暮らす間に、彼女もまた、人の魂を束縛する何かに打ち勝ち、退ける術を得たのであろう。

もうお分かりかと思うが、特に女性の場合、魂を縛る何かから解放されることで、生命力を回復すれば、本質的な美しさが輝くのであり、それは、美容法で創るようなものの比ではない。
逆に、いかに美容的な方法で外的な美しさを作ったところで、本当の魅力は得られない。それは、金をかけてプロポーションや何かは確かに素晴らしいのだが、少しも美しくないという女性が沢山いることでよく分かると思う。
もちろん、『賢者の石』にあるような、怪しげな脳への細工など不要だ。

1つには、『エメラルド・タブレット』にも書かれているように、食欲からの解放が魂の解放につながるのである。
確かに、食欲に打ち勝つことは非常に難しい。そして、このブログで常に述べているが、何事も運命によらずに決して起こらない。
食を慎むことが出来るかどうかも運命なのかもしれない。
しかし、同時に、人は空想だけは意思の力で支配できる可能性がある。今回は詳しく述べないが、それはあらゆる聖者、賢者が保障するところである。
そして、過ぎた食欲は、空想から起こるのである。そうであるなら、見かけ上の食の量がどうなるかは分からないが、人が食欲から解放されるということは可能であると私は思う。

この問題に関しても、常にこのブログで述べる方法により、空想を止めることが、ほとんど唯一の解答である。
簡単に言えば、自分は全く無力で、世界や人生に対し、何の影響も与えることができないことを受け入れ、ものごとを完全になりゆきに任せることだ。
尚、男性の場合は、魂の束縛からの解放が美しさに現れる程度は、全く無いとは言わないが、女性ほどではないと思われる。また、女性の場合でも、それは必ずしも性的魅力として現れる訳ではない。そのあたりを、とりあえず注意しておく。









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