あるヨガの大家の昔の本に書かれていたことだ。彼の講演によくやって来ていた二十歳くらいの青年がいたのだが、彼は何事にも自信がなく、いつも暗い雰囲気だった。ところが、ある日、急に明るく大胆な雰囲気の青年に変わってしまっていて、驚かされたという。
悟りを開いたのかもしれないその青年に、「幸福とは何か?」と尋ねると、「水入らずだ」と即答する。
一応言っておくが、悟りを開いたからといって、頭が良くなるわけでも、人格者になるわけでもない。当然、悟りを開いても、二十歳なら二十歳の人生経験しかない。だから、それ相応の答が、「幸福とは水入らずだ」ということになるだろうが、悪くない答だと思う。
もう少し適切な言い方をするなら、「幸福とは気楽さ」だ。仏教では大安心とか言うらしい。

学校のクラブ活動で、目立たない普通の部員が急にキャプテンにさせられたり、やったこともない学級委員長に急に任ぜられたら気が重いだろう。会社でも、それまで少しも偉くなかった若い社員が不意に部長や役員、それどころか、社長に抜擢されたという話もあるが、そんな時のプレッシャーは凄いものだと思われているだろう。
しかし、どんな時も、気楽にやらなければならないのだ。
なぜなら、大関に昇進した力士が4文字熟語で言うような立派な決意で取り組もうが、いい加減に気楽にやろうが、結果は同じだからだ。

イギリスの首相やフランスの大統領の名前なら知っている人でも、スイスの大統領となると、全く分からないだろう。
スイスでは、7人の連邦参事という者が、原則、年齢順に1年ずつ交代で大統領をやり、さして権限はない。そもそも、連邦参事というのも、それほど大したものではない。
スイス大統領は、海外から難しい問題を持ちかけられても、「ワシは優秀だから大統領やってんじゃないぞ。順番が来たから1年だけやってんだ」と気楽なものである。
それに、スイスには実際上の世界銀行があり、自分の金の上に原爆を落とす馬鹿はいないので、大統領はさらに気楽だ。
それで、スイスという国は実にうまくやっているのである。
たとえ大統領が、「この命に代えても国家や国民のために」と変な使命感を持って取り組んでも、良くも悪くもならないのだ。

気楽になるために、まず必要なことは、自分が無力であることを知ることだ。
あなたも私も、世界に対して、いかなる支配力も及ぼすことはできない。それは、社長だろうが大統領だろうが変わらない。
成功して金持ちになったとしても、それは、そういう運命にあったというだけのことだ。優秀だったからでも、がんばったからでもない。
宿命によらずして、何事も起こらない。
言い換えれば、イエスが言ったように、神の意志によらずして、どんなことも起こらないのだ。
そして、政木和三さんがよく言われていたが、神は人の願いは決して聞かない。
荘子は、神という言い方はしなかったが、この世を支配する真宰というものがあり、その実体は人間に理解できるものではないが、我々はその真宰にただ従うしかないのである。
荘子の喩えでは、それは銅と鍛冶師の関係であり、鍛冶師がその銅を何にするかを決めるのであり、銅が、「俺はどうしても名剣にしかなりたくない」と言うのは、身の程知らずというものである。

『バガヴァッド・ギーター』では、至高神クリシュナは、アルジュナ王子に18の秘法を説いたが、アルジュナには教えを理解できなかったのだ。
そんなことは、クリシュナには最初から分かっていた。しかし、無数のアルジュナのために、あえて説いたのだ。
そして、クリシュナは最後にこう言う。
「憶えておけ。我はお前を愛している。そして、お前は我に愛されているのだ。だから、全て我に任せよ」
あれだけの教えを聞きながら、アルジュナを気楽にさせたのは、何のことはない。この一言だったのだ。
言い換えれば、クリシュナのこの慈悲深い、しかし、真実の言葉が、アルジュナを苦しみから解放し、安心させたのだ。
アインシュタインも言ったのである。「神は老獪だ。だが、悪意はない」と。
自分が無力であることは、冷静になれば分かることだ。
だが、全てあるがままに受容し、なりゆきに任せることが出来れば、これまで抱えていた不安や恐怖、辛いことや悲しいことから解放され、気楽さが増すだろう。それが、最上の、そして、唯一の幸福を得る秘法である。









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