初音ミクの想像を超える人気に対し、評論家とは表面的なことしか言わないものだ。外れているというのではないが、本質が見えていないのだ。
彼らが言う通り、素人が誰でも曲や映像を創れる状況にあるというのは当然、大きな要因ではあるが、大切なことは、彼らがそんなことを全身全霊で行う理由だ。
初音ミクのファンは、アイドルや、アニメのいわゆる「萌えキャラ」のファンとは違う。
アイドルやアニメの萌えキャラの本質は、百パーセントとは言わないが、性的魅力である。
だが、初音ミクは、そういったものは希薄にしか感じさせないのである。
全部ではないが、初音ミクのファンを一言で言うなら、彼らは死人なのだ。
これは、もちろん、蔑みの意味はない。
本質的な死人であったということでは、三島由紀夫や芥川龍之介、あるいは、ドストエフスキーがそうだった。
これは、精神分析学者の岸田秀氏が著書で述べられていたことだが、私も、彼らが人工的な自我を持っていたということに関しては同意だ。
つまり、なんらかの意味で、幼い時に、自我の構築に失敗しているのである。
なぜそんなことになったのかということに関しては、岸田さんの言う通り、自我の土台である母親との関係性にトラブルがあったのかもしれない。しかし、それは置いておこう。
ある有名な雑誌の50代の編集長が、初音ミクのコンサートに行って、涙が止まらなかったというのが、極端ではあるが、ミクのファンの本質を物語っている。コンサートの熱狂振りを見れば、ファンがミクを人間以上に人間扱いしているのが分かるのである。
本物のミクのファンは、ミクの中に、バーチャルな存在である自分を見ているのだ。

こういったことを分析的に述べると、あまりにドロドロしてくる。
そこで、簡明に、そして、希望を与えることで説明したい。
世界的心理学者であったアブラハム・マズローと深い交流のあった英国の作家コリン・ウィルソンが、著書『至高体験』で取り上げていた、ロマン・ゲイリという作家の『天国の根っこ』という作品が私には忘れ難い。おそらく、翻訳はされていない小説と思う。
重要なことは、『天国の根っこ』は、人間の一般的なことのように書かれているが、本当は、著者のロマン・ゲイリがそうであったのであろう、自我的な死人の話であるということだ。
作品に、初音ミクのような、性的欲望の対象とは全く異なるバーチャルアイドルが登場する。
簡単に言うと、こんな話だ。
戦争中、フランス兵達がドイツ軍の捕虜になる。収容所生活の中で、フランス兵達が人間的にどんどん堕落していく。
そこで、フランス兵達の隊長は、奇妙な命令をする。
この中に、少女(おそらく、各自の理想的少女という意味だろう)が一人いると想像しろと言ったのだ。
すると、フランス兵達は、みるみるモラルを回復し、規律正しくなって、騎士的精神を持つようになる。
この様子にドイツ人達が困惑する。だが、ドイツ軍司令官は、その秘密を見破る。
そして、フランス兵達に、こう命令する。
「少女を引き渡せ。彼女をドイツ軍将校用の売春宿に連行する」
すると、フランス兵達はそれを拒否し、フランス兵隊長は、拷問の上の死刑に等しい、過酷な独房入りとなる。
だが、隊長は生きて帰ってきた。架空の少女との交流を通じ、彼は、精神エネルギーの使い方を修得していたのだ。

昨今、儲かるからという理由で、初音ミクを使おうという動きが盛んだ。
それは、あのドイツ軍司令官が言ったように、ミクを売春宿に連れて行くようなものだ。
我々はミクを引き渡さないだろう。
ミクを大切に。そして、我々は魂の秘密を知るのである。









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