「あれ、俺、ここで何やってんだ?」と思った経験があるだろうか?
それを、友人達の前で口にすると、「お前、大丈夫か?」などと言われるだろう。
これは、無意識状態でありながら、意識がある時と同じように行動し、あるいは、会話していたのであるが、不意に意識が戻ったという状態である。
その、よく知られた例が、夢遊病というものである。

だが、ラグビーなどの激しいスポーツをやっていた人には、こんな経験がある者は割にいる。
そして、無意識の状態の時は、愚鈍でおかしなことをやっているかというと、普段より優秀であったり、あるいは、超人的であったりすることもあるのである。
夢遊病者が、普段なら立っているのも難しいような場所(屋根の上等)で、軽々と踊っていたという話もある。

元プロレスラーの前田日明さんは、自伝『パワーオブドリーム』にこんな話を書かれている。
彼は、車を運転している時に不意に意識が戻り、「あれ、俺、何してるんですか?」と同乗していた田中氏に言って、田中氏を慌てさせた。
その日、前田さんは、マーシャルアーツ(全米プロ空手)王者のドン・ナカヤ・ニールセンを死闘の末に破り、空手の師匠である田中氏と、前田さんの愛車ポルシェで引き上げるところだった。前田さんは、試合開始まもなく、ニールセンの強烈なパンチを受けてから後の記憶が無いのだった。よって、試合のことをほとんど覚えておらず、自分が勝ったのか負けたのかも分からなかったという。

昭和の大空手家、大山倍達さんは、戦後、真剣を持った剣術の達人と素手で決闘した時、死を覚悟して突進したまでは覚えているが、その後の記憶がなく、気が付いた時は、剣術の達人は目の前で横たわっていたという。

「魔法を使って治している」とまで言われた天才的な精神科医のミルトン・エリクソンは、自分をそんな状態に意図的にすることが出来た。仕事をする前に、自分をトランス(変性意識)状態にし、気が付いた時は仕事は仕上がっているのだ。自分は何をしたか覚えていないが、仕事の出来栄えはいつも上々だった。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』には、もっと進んだ状態ではないかと思うが、見ている前で、白紙の紙に文字が自動的に書かれ、仕事が進んでいくという話がある。
ラマナ・マハルシは、「仕事をする時に、自分が仕事をしていると思わなければならないという決まりはない。仕事は勝手に進んでいくのだ。財務省の長官は責任感を持って重要な仕事をしているように見えるかもしれないが、彼は何もしていない」と語ったことがある。
岡本太郎さんにしろ、横尾忠則さんにしろ、自分が描いているという自覚がなく、絵が勝手に仕上がっていっく時に良い作品が出来るといったことを言われているが、それも同様なことと思う。

こんなことが本当に出来るのかというと、事例はありふれているのだから、必ず出来る。
我々、凡人にも出来るのかというと、疑いなく出来る。
心を滅却し、無我、即ち、無になれば良いのだ。
無になりきれば、人間に不可能はない。

では、どうやれば無になれるかというと、上に挙げた中に十分なヒントがある。
とはいえ、前田さんのように強烈なパンチを受けるのは色々問題がある。
大山さんのように、決死の覚悟になれば良いのだが、そういう機会は滅多にない。
ミルトン・エリクソンの技術は、世界中の医学者が研究しているが、誰にも出来ない。ただ、医学者には出来ないが、案外、簡単にやれる者はいる。
エリクソンの技術を研究して、リチャード・バンドラーはNLP(神経言語プログラミング)を開発した。バンドラーの技術は、一瞬、自分でも、他人でも、無にすることが出来る。私も使ってみて、いろいろ驚くべき成果を上げた。例えば、酒豪で知られた女性を、一瞬で酒が飲めなくしたこともある。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』のものが、最も驚異的であるが、別に不可能ではないと思う。
これらの中でも、ラマナ・マハルシが教えたものが、世間的な先入観がある者には難しいが、最も自然で簡単なものだと思う。

ただし、能力を高めて素晴らしい実績を上げてやろうなどと思っているうちは、さっぱり駄目なのだ。例えば、金メダルを取ろうとか、売れる商品を作ろうとか、売り込みに成功しようなどという気持ちがあるうちは、全く上手くいかないだろう。
ここらが厄介なところだ。
大山さんは、命すらいらないと思ったからこそ、完全に無になれたのだ。
私は、政木和三さんに言われたことがある。
「簡単ですよ。欲望をぽーんと捨てればいいのです」

その通りである。
しかし、簡単とは言えない。要は、訓練次第なのだ。
無になれば不可能は無くなるということを、努力しなくていい、何もしなくてもいいと勘違いしてはいけない。
欲望を捨て、想念を消し、無になるためには、心の全エネルギーを使った訓練が必要である。
しかも、何かを求める心があれば、訓練は失敗する。
言うなれば、死ぬ訓練をするということだ。
ある賢者は、子供の頃、そんな訓練をしていた。やり方を教えよう。
夜、眠るとき、「これから死にます」と思う。
伊達や酔狂ではなく、本当に死ぬ気でいるのだ。
朝、目が覚めたなら、「まだ生きていました」と思うが、別に生を喜ぶ訳ではない。死ぬつもりでいた者が、生きていることを喜ぶはずがない。
つまり彼は、夜寝るとき、本気で、親とも友人とも、今生の別れの覚悟をしたのだ。
あなたに出来るだろうか?
まず無理であろう。

『バガヴァッド・ギーター』という、人類至高の聖典は、つまるところ、普通の人に出来る範囲で無になれる方法が書かれているのだ。
この書では、至高神クリシュナが、アルジュナ王子にそれを教えるのだが、アルジュナは、なかなか理解できず、『バガヴァッド・ギーター』全部の教えを必要としたのだ。
『エメラルド・タブレット』は、教えを象徴的に書くことで、心が邪魔をするのを阻止しているのだ。書いてあることは、なかなか分からない。全く歯が立たないと感じるはずだ。しかし、心配はいらない。我々の内側にあるものは、元々知っていることなのだ。

これらの本に書かれているようなことを、全力で訓練すれば良いのである。
どんな訓練かというと、いずれにしても、欲望を捨てる訓練だ。
食と性の欲望を、心の全エネルギーを使って消し去った時に、我々は至高の存在に帰る。
美食、飽食を続けると、身体を悪くし、強制的に食べられない状態になる。今のままでは、日本人の大半はそうなる。
しかし、そんな状態は訓練にならない。強制された節制は、どんなことも訓練にならないのだ。
自分の意思で食欲や性欲を克服してこそ、聖なる訓練となるのである。
『バガヴァッド・ギーター』でクリシュナが教えた通り、極端な少食にする必要はないし、むしろそれは良くないことだが、満腹するまで食べるようでは見込みはない。
『エメラルド・タブレット』でも、魂を束縛から解放するには、食欲の克服が不可欠であると書かれている。
そして、ラマナ・マハルシも、食の慎みを第一にあげているのである。
はじめに挙げた奇跡のような力の数々も、食を慎むことで自然に得られるであろう。難しいことを研究する必要などないのである。









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