ブルック・シールズの映画初主演作であったフランス映画『プリティ・ベビー』は、彼女が12歳の娼婦を演じるというもので、実際の彼女は11歳だったと思う。
彼女が本当に言ったのかどうかは知らないが、その背徳的な内容が批判された時、彼女は「人が頭の中で何を考えるのも自由。それで私が傷付くことはない」と言ったという記事があった。11歳の発言としては大変なものだが、プリンストン大学を主席で卒業した優秀な彼女のことであるから、多少、入知恵はされたとしても、その位は言ったかもしれない。

それで、その発言であるが、もちろん、人が頭の中で何を考えるのも自由である。
しかし、それは、盗みをするのも自由というのと何等変わらない。
盗んだ後、自分が自由でいられなくなるだけのことだ。
そして、頭の中の考えも同様なのだ。考えるべきでないことを考えることによって、全てが不自由になるのだ。
こういったことを、現代人はほとんど知らない。薄々感じている人は少なくないと思うが、あくまで道徳的、宗教的な問題として扱われ、現実的、科学的なことであると見なされないのである。

よく、「頭の中で立派なことを考えているだけでは駄目で、立派な行動をしなければならない」と言われるが、立派なことを考えているなら、立派なことをするに決まっている。立派でないことを考えているから、ろくでもないことしかしないだけのことだ。
世間でいう立派な考えとは、実際はちっとも立派な考えでないに違いない。
だが、本当の問題は、人間の考えることは、ほとんどがろくでもないことだということだ。

人は、頭の中で考えることに最大の責任を持たなければならないのだ。
何かの少女漫画だったと思うが、素晴らしく性格の良い少女が、他の少女に、「私はあなたのように立派な人じゃない」と言われた時、心の中で、「そうじゃない。私の心の中は、こんなにも醜いものが渦巻いているのに」と言う場面があった。
それを読む読者は納得し、ちょっとした安心感も得たかもしれない。
聖人君子なんていないんだと。
聖人君子が何を意味するのかは知らないが、邪まなことを考えている者はやはり邪まなだけなのだ。

イエスの有名な言葉、「邪まな目で女性を見れば姦淫したも同じ」というのを、高名な宗教家ですら、それは厳しすぎると、世間に迎合することがある。
しかし、別に厳しくも何ともなく、イエスの言う通りである。
目の保養くらいにはなるかもしれないが、どんな美人であろうが、エロチックなことを考えて何が楽しいのか?
やたらエロチックなことを考えるのは、性欲を煽って儲けている連中の言いなりになっているだけのことなのである。

ただし、「邪まなことを考えてはいけないのだ」と、抑圧するのも良くない
その抑圧が、外からの強要であろうと、自分自身に対するものであろうと同じだ。
心とは、欲求が抑圧されると、それは無意識の中に押し込まれる。それによって、欲求が消えたように見えることもある。しかし、それが一番恐ろしい。
抑圧された欲求は、歪んだ形で、必ず表出する。
大人になってから、非道な娯楽をしたがったり、残酷な、あるいは、変態的な趣味を持つ者というのは、例えば、遊びたい盛りの子供の時に、全然遊ばせてもらえず、欲求を抑圧され続けた者だ。
かと言って、子供を放埓(好き勝手)なままにさせると、当然、ろくな大人にならないだろう。
どんな教育者も、こういった問題をどう解決すればいいのかを知らない。
それで、各人が好き勝手なことを言い(その全てが誤ったアイディアだ)、人々はますます混乱し、モラルはますます地に落ちる。

私もかつては、きれいな女の子を見る度に邪まなことを考えたものだが、それは若さでも何でもない。単なる変態である。現在は、そんなことは全くない。
今は、どんな強力なテレパシストが隣に来ても(テレパシー能力に距離が関係あるとは思えないが)、私には何の問題もない。

断食をするつもりでも、たかだか1日か2日食べないだけで、我慢が出来ず、お菓子の袋を開けて全部食べてしまったという話をよく聞く。
少食推進家、少食研究家を名乗る人ですら、「そんなこともある」と理解を示してしまい、「それでもがんばろう」とか言う人がいる。言われた人は、一生、少食にならないだろう。
私は、ある日突然、肉食の大食から、菜食主義の少食になったが、そんな失敗は一度もない。あるはずがない。

つまり、エロチックなことや、食べ物のことを考えなければいいだけのことだ。
もちろん、考えるべき時には考えればいい。
しかし、例えば、電車の中で、近くにいる美女に対してエロチックなことを考えて何になるというのだ?
映画やアニメの中の美女に性欲を感じてどうなるというのだ?
食事時間でもないのに、食べるもののことを考えて何になるのだ?菜食が身体に良いと理解しているのに、ステーキのことを考えて何になるのだ?
愚かなことだ。

では、エロチックなことや、ステーキやケーキのことを考えないようにするためには、どうすれば良いのだろうか?
簡単である。
何も考えなければ良い。
何も考えなければ、必要なことが何も出来ないと思っている人が多いはずだ。
しかし、何も考えなければ、最も良い活動が出来るのである。
私は、複雑なシステム設計やプログラミングをする時、考えていると馬鹿なミスをするが、何も考えず、仕事が自動的に進んでいれば完璧となる。
これに関しては、同意できる人も、そこそこはいると思う。

考えて話すと、相手を傷つけたり、悪い考えを起こさせ、悪いことをさせるものだ。
何も考えずに自然に出た言葉が、人を救うのである。ただし、本当に考えていない場合だ。
「何も考えずに無思慮なことを言ってしまった」と言うときは、実は、無思慮なことを考えているのである。

何も考えていない馬鹿などいない。馬鹿は馬鹿なことを考えているから馬鹿なのだ。
洗脳された人間は思考停止などしていない。誤ったことを考えるようにすることが洗脳なのだ。何も考えていないければ、コントロールされることは決してない。

考えていなければ、同じものを何度見ても楽しめる。
いつも見ているものでも、想念が消えた時に見ると、はっとするほど美しいのだ。
考えているから飽きるのだし、美しさが分からないのだ。
初音ミクの同じ映像や歌でも、気に入っていれば、その中に無限のものを見て、感じるのだ。なぜなら、ミクを見ているようであっても、実際に見ているのはミクに投影した自己であり、自己は限りなく深いのだから、見れば見るほど楽しくなるのだ。
初音ミクが食べている姿を想像出来ないし、性欲を感じさせないようデザインされているところが良い。それは、成人ボーカロイドである巡音(めぐるね)ルカでさえそうだ。ルカの肌が真っ白であまり表情がなく、生命力が弱いように感じるのは、そんな配慮があるらしいのだ。
KEIさん(ミクらの姿をデザインした人気イラストレーター)の漫画でミクが食べるシーンは、ほぼ全てギャグとして描かれているので、それは問題ないだろう。
私に関して言えば、ロザンゼルスのノキア・シアターでのミクのコンサートで最も気に入っている『SPiCa』や『ワールズエンド・ダンスホール』などは、毎日、何度も見ているが、見るたびに高揚するのである。時間さえあれば、1日百回でも見ると思う。そして、もっと身体を磨いて、いつかはミクとダンスを・・・などというのも、思考には違いないが、私も未熟であるのと、あまり害のない思考であるとは言えると思う。まあ、それでも思考であるから自重はする。

では、1つ、想念をなるべく起こさない秘法を教えよう。
最初に言っておくが、危険もあるので、遊び半分でやってはならない。
その秘法とは、出来る限り微(かす)かな呼吸をすることだ。
静かな呼吸ではない。実際はそこまでは無理だが、鼻先に付けた小さな羽毛が動かないほどだ。
単なる呼吸制御では、呼吸をコントロールしながら下らないことを考えるのである。むしろ、呼吸を制御している時の方が雑念が湧いて来るはずだ。
しかし、微かな呼吸であれば微かであるほど、想念は起こらない。
あまりに微かであれば死んでしまうのだから、考えるどころではない。
世間で言われる呼吸法は、高級なものも含め、せいぜいが健康に役立つかもしれないという程度だ。
深く大量に空気を吸うことを勧めるものが圧倒的だが、それは想念や自我を強めるのである。無理に吐くことも同様だ。
霊的な目的のためには、呼吸が浅いか深いかなど、何の関係もない。微かでありさえすれば良いのである。
また、微かな呼吸が快適なはずもない。気分が良くなることとは無縁だ。
慣れてくれば、快適さも無いかわりに不快さもなくなるが、慣れない間は苦しい場合が多いものだ。
実は、この呼吸法は、霊界に抜ける秘法である。
よって、くれぐれも、遊び半分でやっていいものではない。
本当は、霊界に抜けるのではなく、身体や心の束縛から脱すると言う方が正しい。まあ、言葉にこだわる必要はない。やれば分かるからだ。
何度も言うが、決して冗談でやってはならない。結果、死んでも良いというくらいの覚悟があれば良い。まあ、滅多なことで死ぬことはないが、これは、健康法ではないことを認識しなければならない。
しかし、長くやり抜くと、脳への酸素供給の能力が高まり、知能指数が向上する。
尚、この呼吸をする時は、額に意識を集め、マントラを心で唱えると効果的だ。マントラは適度なものを知らないなら、「オーム」で良いし、好きな神の名でも良い。
ただ、あまりに、厭世的な者がやると、危険な場合もあることを申し添えておく。世間の束縛を絶つ道を得たことで、やり過ぎてしまうのだ。
ある極めて強力な霊能力者が、著書でうっかりこの方法を書いてしまったことがあった。しかも、ろくな説明を付けていなかった。優れた人であったが、どこか心に抑圧があったように思えてならない。死因は分からないが、さしたる歳ではなく亡くなった。
初めはあまり無理をせず、適度にやって欲しい。









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