私が好きな精神分析学者の岸田秀さんが、何かの著書に、「イエスのような大噓つきがいるから、騙されないよう気をつけないといけない」と書いておられた。
しかし、イエスが大嘘つきだということは知っている。「嘘つき」でなく、「大嘘つき」と書いてくれたのが嬉しい。
嘘のない真理なんて、ある訳がない。
英文学者で詩人で画家の加島祥造さんは、タオイスト(老荘思想信奉家)を名乗るが、彼もある著書で、「老子は嘘つき、荘子は大噓つき」と書いておられたものだ。
決して、老子は「小」嘘つきなのではなく、彼の嘘は高度過ぎて分からないだけだと思う。むしろ、天下無敵の超嘘つきだ。
荘子なんて、最初から、「でたらめ言うから、でたらめに聞け」(妄言するから妄聴せよ)って、言ってるくらいだ。
「先生の言うことを真面目に聞け」って言う、毒にも薬にもならないセンセーとは違うのだ。

ダンテの『神曲』という、イタリア・ルネッサンスの叙事詩の最高傑作と言われる作品がある。
しかし、『神曲』なんて重々しいタイトルを付けたのは、森鴎外という大文学者にして、医学博士、文学博士という、肩のこるおっさんだった。
それで、『神曲』は、荘厳な文学だなんて堅苦しく扱う人ばかりになったものだ。
しかし、ダンテ自身が付けたタイトルは『コメディー』なんだよ。
私は、『神曲』を中学1年生の時に読んだが、その時、その原題は知らなかったが、「なんて喜劇(コメディー)だい!」って本当に思ったのだ。
だって、ダンテの嫌いな人はみんな地獄でひどい目にあっているし、キリスト教徒でなければ天国に入れない。
ダンテがずっと片思いし続けていたが、口も利けなかった美少女ベアトリーチェと天国観光するしで、これがコメディーでなくして何だろう?
ひょっとしたら、ダンテは冗談で書いたのかもしれないが、森鴎外という大真面目なセンセーが変な方向に持っていっちゃったのかもしれないのだ。
まあ、私のこの言い分も冗談なのだが。
海外では、さすがに神曲・・・ゴッド・ミュージックとは言わないが、ディバイン・コメディー(神聖なる喜劇)というのだ。コメディーでいいんじゃないかと思うのだけどね。

真面目といえば、これ以上真面目な人はいない、大数学者・物理学者のロジャー・ペンローズは言ったものだ。
「百年バレない嘘は人類を進歩させる」
ユークリッドの平行線の公理なんてのは2千年以上バレない嘘だったが、これが人類を賢くしたのだ。
私は、ネットのBBS(死語かもしれないが、電子掲示板)で、岸田秀さんに、ペンローズのこの言葉を教えてあげたら、岸田さんは、「僕の唯幻論が百年バレない嘘であることを望んでいる」と答えてくれたものだ。さすが、岸田さんは天才だ。

惚れた男と別れた女は、「ずっと騙してて欲しい」って言うのだ。
彼女にとって、その男の嘘こそ真実なのだ。
そして、本当の真実とは、嘘も本当もひっくるめて、何も思わないことなのだ。
デカルトは、「みんな嘘。嘘だって疑っている私だけ本当」といった意味で、「我思う、ゆえに我あり」って言ったのだ。

2万年前に書かれたという『エメラルド・タブレット』は、壮大な嘘だ。繰り返し読めば真理を得る。そんな嘘を書ける人間なんていない。書いたのは、アトランティス人とはいえ、人間のトート(トス)かもしれないが、人ならざるものに聞いたものだ。
これを英語に翻訳したドリール博士は、今頃、シャンバラで笑っているかもしれない。
これに並ぶ大嘘は、至高神クリシュナがアルジュナ王子に語った『バガヴァッド・ギーター』だ。だから、聖典嫌いの聖者ラーマクリシュナが、この聖典だけは別格と言い、およそ本を読めと言わなかったラマナ・マハルシが「いつも読め」と言ったのだ。









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