イエスは、「山に、動いて海に入れと命じ、そうなると信じて疑わないならそうなる」と言った。しかし、酔っ払いだってそんなこと信じたりはしない。
なら、彼は、「願いがあれば、すでに叶ったと思って感謝しなさい。そうすれば叶う」とも言っている。しかし、誰も、叶ったと思えないのだ。
イエスのこの言葉を曲解して、「感謝すれば叶うのです」とか「ありがとうございますと言いなさい」と言った者は多いが、信じてもいないのに感謝などすれば、だんだん心が腐ってくるのを感じるはずだ。
引き寄せの法則とか潜在意識の法則といった呼び名は違っても、中身は全部同じだ。「信ずれば叶う」だ。しかし、誰も信じないのだ。
ブリストルの『信念の魔術』って本には、信じれば何でも叶うと書かれているが、それは上に述べた通り、2千年前にイエスが言ったことだが、どうすれば信じられる、つまり、信念が持てるのかが分からないのだ。
藤平光一さんという合気道の達人は、毎朝、鏡に向かって「お前は信念が強くなる」と言うのだそうだが、それは、すでに信念を持った人間のやることだ。

デカルトは、「我思う、ゆえに我あり」と言ったといわれるが、本当は少し違うことを言ったのだ。それは、「疑っている我は、確実に存在する」だ。
つまり、疑うことが我の最大の特性なのだ。
ならば、疑わずに信じることは、人には出来ない。疑わなければ存在しないのだ。存在するとは疑うことだ。

だが、本当の逆転の発想とは、こういうことを言うのだろう。
本当に信念を持つ方法を言った人が3人いる。
禅僧の至道無難(しどうぶなん)、明治・大正の教育家、岡田虎二郎、そして、イエス自身だ。ただ、イエスはお得意のたとえ話で言ったので、誰も分からなかったのだ。
イエスは、アイルランドの詩聖イェイツが誉めるほどのたとえ話の達人だが、達筆過ぎる文字は読めないものなのだ。

言いはしないが、他にも、本当に信念を持った人を何人かは知っている。
では、信念を持てば、韓流スターのようにイケメンになれるのか?少女時代やKARAのようなナイス・バディーになれるのか?ビル・ゲイツのように金持ちになれるのか?
造作もない。あまりに他愛ない。
しかし、私の知ってる信念強き者は、ハゲてるし、脚長くないし、さすがに生活に困っている人はいないが、大して金を持っていない。
だが、イエスは金などなくても、いろんな人の家で食事した。
ベアード.T.スポールディングも、財産というものは無かったが、全米中、どの家でもずかずかと入っていって座れば、必ず快適に食事が出来たという。
信念を持った者というのは、世間の人が欲しがるものに何の興味もないのだ。

デカルトに勝てば、あなたも信念を手に入れる。
デカルトは、「疑っている我は確実に存在する」と言ったのだったな?
なら、存在しなきゃいいのだ。

他愛ないアニメに、そんなヒントがある。
『灼眼のシャナ・ファイナル』で、「祭礼の蛇」坂井悠二は、天を指差し命じた。「神門よあれ」と。
たちまち、天に変化が現れ、壮麗な門が形作られた。悠二は満足して言う。「なった」と。
旧約聖書にも、神が「光あれ」と命じると、光が顕れたとある。
「祭礼の蛇」は、創造神と呼ばれている。
その後、坂井悠二は、吉田一美と田中栄太の前に姿を見せた時、「祭礼の蛇」のことをこう言う。
「他の者のためになることをしたくて、いつもうずうずしてるんだ」
ユニティ教会の創始者チャールズ・フィルモアも同じことを言っていた。
「神は与えたくてうずうずしている」
チャールズ・フィルモアの思想に関しては、下にご紹介した『無限供給の鍵』で、谷口雅春さんが分かり易く説明している。

至道無難は言った。
「生きたまま死人になって、思うままにやれば良いのだ」
岡田虎二郎は言った。
「自分を埋葬しちゃいなさい。そしたら、何でも出来るよ」
イエスは言った。
「死なないと命を得られないよ」
本当は、皆、もっと荘重な言い方をしたのだが、そんな形に囚われると、さっぱり分からないので、これで良いのだろう。
岡田虎二郎は、自らの信念に従い書は残さなかったが、下にご紹介した、直弟子で、日航の社長や日銀の副総裁であった柳田誠二郎氏の著作にその教えが書かれている。

もう分かっただろうか?
分からないと言っているのは誰だろう?
それを見つければ、全てを得る。そう教えたのは、ラマナ・マハルシである。









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