落語に『死神』というものがあるが、どこかで見たり聞いたりしたことがあるかもしれない。
その落語のお話の中で、ある真っ暗な洞窟の場面がある。そこには、無数のロウソクが燃えている。
このロウソクは、地上の1人1人の人間の寿命で、ロウソクが燃え尽きた時、その人は死ぬのである。
このお話は、グリム童話の『死神の名付け親』から来ている。このお話でも、地獄の洞窟の中に、人の寿命を示すロウソクが沢山燃えているのだ。

ひょっとしたら、似たような話は他にもあるかもしれない。
私も誰かに教えられた訳ではないが、小学校の低学年の頃、あるところに存在する沼に、泡(あぶく)が絶え間なく浮かび上がって来るが、その泡の1つ1つが、人間1人1人であると考えたことがあった。なぜ、そんなことを考えたのかは分からないが、ひどく確信を持っていたものだ。

ギリシャ神話では、3人の運命の女神モイライが、それぞれの人間に対応した糸を切れば、寿命が尽きるとされていた。
北欧神話にも、似たような3女神ノルンがある。

人の運命とは分からないものだが、その構造は、案外に単純だということだろうか?
そして、人の運命は、何ものかの手委ねられているのだ。
いずれにしても、人は自分の運命や寿命を、自分ではどうすることもできない。
ほたるの光を、人の命に喩えることもよくある。
やはり、人の命は儚いものであると思われるのだろう。

だが、こう考えてみても良いだろう。
地球の地下深くに、地獄や黄泉の国ではないが、地上とは異なる別世界がある。
昔から、シャンバラ、シャングリラ、ザナドゥ、桃源郷などと呼ばれていた世界だ。
地上の人類とは比較にならないほど進歩したその世界は、人類が現れるよりはるかな昔から存在していた。地上に現れた超人、聖人達は、この世界から地上に出た者達だ。
その中の、ある荘厳な建物の中の一室は闇に包まれている。
しかし、そこには、無数の小さな蛍火が光っている。
それが、地上の人間1人1人の魂だ。
進歩した魂は、明るく力強い。しかし、欲望に従って生きているだけの愚鈍な魂は薄暗い。
ひと際明るく輝く魂があれば、この世界の聖者は地上に出て行き、その者の前に現れる。聖者は、その素晴らしい魂の持ち主に教えを授け、そうして、その者がさらに進歩し、光が強くなれば、その者を地下の世界に迎えるのである。
新しく地下の世界に参入した者は、引き続き、学習や修行を行う。この世界では、エネルギーや食料などは無限に容易く創り出せるので、労働する必要はない。地上の人間の知らない身体や心の使い方もマスターし、その寿命は、地上の人間とは比較にならないほど長くなり、いつまでも若い。
そんな世界に、意識レベルの低い者が来ることは決して無い。太古の昔、そんな世界が地上にあったが、住人の中に欲望が強くなって堕落する者が現れ、そんな者達のために大惨事が起きて世界が滅びたことがあった。その生き残りが地下のこの世界に逃れたのだ。だが、その時、堕落した人間を助けることはしなかった。

地下の世界で学び続け、十分な進歩を遂げると、地上の人間を導く役目を負うことになる。
こういった世界を、釈迦は極楽浄土と言い、イエスは天国と言ったのだろう。もちろん、彼らも、地下世界の聖者だった。
経験的に言えば、地下世界を実際に訪れて、目で見ることは難しくても、感じることはできるものだ。
地下とは言っても、言ってみれば四次元的な世界で、地上とはかなり異なる。
世間での生活が辛く苦しくても、欲望を捨て、魂を磨くことだ。地下の聖者は、全ての人類をそこに迎えるか、あるいは、地下の都を地上に移すかしたいと思っているのだ。
あなたの進歩も、シャングリラの聖者により注意深く見られているのだ。

考えてみれば、地下の世界の様子は、『観無量寿経』に書かれた極楽浄土のようだ。
難しいことではないが、肉食をやめ、食を慎み、性行為は、エロチックなものを見たり、考えたりすることも含めて避けていると、感覚が研ぎ澄まされ、そんな世界のことが心に浮かぶようになる。『観無量寿経』では、釈迦が、その世界を思い浮かべる方法を教えている。実際は、その通りにやることは不可能かもしれないが、それが出来ない場合のことも教えているのである。
地下世界の様子は、『エメラルド・タブレット』を読めば、いくらか想像がつくようになるかもしれない。
それで、確信が持てれば、魂の光を輝かせることを考えるようになるだろう。









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