学校や会社で、1年の目標なんてものを立てさせられることもあるかもしれない。しかし、そんなものは忘れてしまうものではないだろうか。私はいつもそうだ。
だが、自分の本当の目標を1年単位で持つことは良いことと思う。前にも書いたが、1年は、目標を持つのに、とても良い期間だからだ。

私の、今年ではなく、昨年(2010年)の元旦の目標は、「無批判」だった。善いものだろうが、悪いものだろうが関係なく、一切の批判を差し控えることを目指したのだ。
幸福に至る最良の道は、広い心を持ち、ものにこだわらないことで、そのためには、批判は少ないのが良い。
だが、ただ無批判でいようと思っても、できることではないと分かった。
そこで、これからは、1つの言葉を忘れないようにし、何かある度に呪文のように唱えようと思ってる。その言葉は、「どうでもいいことだ」だ。

良い口癖を持つことを薦める者はいるが、持つべき口癖とは、魂を解放するものでなければならない。魂が解放され、自由に輝くなら、あなたは無敵だからだ。
そのための言葉が、「どうでもいいことだ」であると思う。
スコットランド出身の神学者・哲学者であるマード・マクドナルド・ベインが、チベットで偉大な師に初めて逢った時、ベインは、命を懸けて学んできた知恵を、師に語って聞かせた。自分がそれなりのものであることを分かって欲しかったのだろう。しかし、最後に、師が穏やかに言った言葉は、「そんなことが本当かどうかは大した問題じゃないんだよ」だった。ベインは衝撃を受け、一瞬で悟りを開く。
それを読んでいた私も、ベインほどではないにしろ、やはり、深い感銘を得たのだ。

我々は、日常、本当にどうでもいい、つまらないことを、さも大事であるかのように扱い、そんなもののために、怒り、悲しみ、意気消沈し、妬んだり、やきもちをやいたりする。しかし、本当に、1つ残らず、どうでもいいことなのである。心が動揺する度、「どうでもいいことじゃないか」と言い聞かせれば、全ては霧のように消え去るのだ。

自分だけの問題であれば、どんなことでも、それは、「どうでもいいこと」だ。自分だけの問題とは、心が恨み言を言うようなものだ。
私が貧しかろうが、悲しかろうが、悔しかろうが、誰に関係があるのだ?そして、それは、私にすら関係のないことなのだ。
どうでもいいことを除いていけば、最後に、真に大切なものが、蒸留物として、あるいは、結晶として残る。だが、どうでもいいことにこだわっていると、結晶は得られない。
「どうでもいいことだ」
この言葉を忘れない限り、私が不幸になることはないだろう。









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