このブログで、度々、「宇宙の英知、あるいは、神仏に全て任せろ」、「諦めれば願いは叶う」と書いており、それは正しく、真実であるが、私は別に、怠惰になれと言っている訳では決してない。神仏に任せるべきことや、諦めるようなことと言うのは、あくまで、自分ではどうにもならないことである。
自分で出来ることをやらずに諦めたら、神仏が力を貸してくれるはずがない。
このあたりは、サミュエル・スマイルズの有名な言葉の通り、「神は、自分を助ける人を助ける」のである。

あなたが男性であるとして、好きな女の子がいて、是非、良い関係になりたいと思うことは自然であり、良いことである。
ところが、「どうせ俺なんか」と諦めてはどうにもならないし、自分で何もしなければ、ただ憧れているうちに、他の男がさらっていくに違いない。
まずは、声をかけて話が出来るようにならないと先に進まない。黙って、献身的につくすという手でうまくいく場合もあるが、それではほとんどの場合、気味悪がられることになるのがおちだ。
話が出来るようになれば、ゲーテも強く勧めたように、親切にすることだ。プレイボーイだったゲーテは、それで大概うまくいくと請け負っている。70歳を過ぎて10代の恋人がいたゲーテの言ったことだ。間違いないだろう。
食事に誘えるようになれば、プレゼントを渡すことも自然にやれるはずだ。
あまり早い告白は駄目だが、遅いのは良くない。もしうまくいくなら、既に相手は期待しているものだ。女性を待たせるものではない。
そして、後は、神仏に任せるのである。結果は、あなたにどうすることが出来るものでもなく、そうするしかない。
そして、これで、大抵はうまくいくものだ。もし駄目な場合、きっと神様はもっと美人を用意してくれているものだ。

逞しい身体が欲しければ、自分で鍛えるしかない。
無理はいけないが、本当に強くなりたいなら、ある程度はがんばらないといけない。こんな願いで、諦めるだの、神仏に任せるだの、断ち物だのと言うのは馬鹿である。

だが、本当は、あらゆる願いに関して、こういうことが言える。
それは、著名な精神分析学者のC.G.ユングが好んだ話にある。ある雨乞い師が、干ばつに苦しむ村にやってきて、3日で奇跡的に雨を降らせたというものだ。
どうやったのかと尋ねる村人に対し、雨乞い師は、「何もしてない」と答えた。雨を降らせるなんてことを、人が出来るはずがない。だから、彼は、神に全て任せたのだ。実際、彼は何もしていない。
対して、それまで、村人達は、神に任せていなかった。
神に任せるとは、神の意思に従うことだ。村人達は、自分の考えや欲望に従い、神の意思を無視し続けてきたのだ。

目の前に、好みのタイプの女の子が現れるというのは、決して偶然ではない。それを得よという神の意思かもしれないし、女の子と口を利くのが苦手なら、練習しろという意味かもしれない。どんな神の意図があるにせよ、かすかな神の声を聞き(心を静めて閃きを感じ)、それに従うことだ。
そうすれば、結果がどうであれ、あなたは素晴らしい恵みを得ることになるだろう。









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