私が幼い頃住んでいた家の近くに、大きな洋館があった。
威容に満ちた古い邸宅で、屋根は空に高くそびえていた。そのような建物は他にはなく、そこだけが異世界ででもあるようだった。
私は、どんな理由だったかは分からないが、中の様子を見たことがある。
私が見たそこは、日本の家には見られない広間のような場所だったと思う。居間にしては広過ぎ、生活感が感じられなかったからだ。
天井がすごく高い。そして、はるか高いところにある壁に窓が付いていた。低い場所にある窓と変わらないもので、カーテンすら付いている。今なら、あんな高い場所の窓をどうやって開け閉めするのだろうとか、あるいは、そもそも必要なのかと思うかもしれないが、その時の私は当たり前に受け入れていたのかもしれない。
そして、ある日、それらの窓よりさらに高い場所・・・ほとんど天井の真下にあった窓が空いていて、そこにこうもり傘が掛けられているのを見た。それを見た時、私の目には、その窓から出入りする者の姿がとても現実的に想像できた。
一昨日(勤労感謝の日)、私は、昼間に椅子に座ったままうたた寝した時、夢の中で、天井の高い建物の中で宙に浮かび、床からはるかに離れた高いところにある窓から外を覗いていた。天井がとても近かった。私は、何の違和感もなく、ごく普通のことをしているように感じていたが、とても気分が良かった。
目が覚めてから、先に書いた、幼い日に見た洋館のことを思い出したのだ。
私は、あの洋館に住んでいた人達は、宙に浮いたり、空を飛ぶことができるのだろうと思っていたに違いない。
シャガールの絵には、空を飛ぶ人々がよく出てくることをご存知かもしれない。シャガールの、それらの絵は叙情性で空想的なものだが、マグリットの絵の空を飛ぶ人達は、とてもリアルに描かれている。非日常的なものをリアルに描くと、ロマンチックというよりは神秘的で、恐く感じることもあると思う。
また、マグリットの絵には、巨岩が空に浮かんでいるようなものもあり、それもまるで風景画のように写実的で、丁度、『天空の城ラピュタ』のようにも感じる。
ただ、マグリットの絵は、幻想絵画としても、ダリのように、いかにも超常的というのではない。
冗談を真顔で言うのは、あまり趣味の良いことではない場合があるが、まさに、マグリットの絵は大真面目に冗談をやっているように思える。
言ってみれば、ダリの絵は、最初から冗談であることが分かる安心感があるのだが、マグリットのものは「俺は確かに幽霊を見たのだ」とでもいった、冗談とも本当とも分からない不安をどこかに感じさせる。
マグリットの絵は、異常な部分にも、異常性を認めさせない雰囲気がある。
それで、マグリットは、「僕の絵のどこが異常なんだい?」って言いそうな気がするのだ。
オウム真理教の事件以来、あまり聞かなくなったような気もするが、インドには、空中に浮くヨーギ(ヨガ行者)がいるらしい。ミラレパというヨーギは、ヨガの秘法で体温を自在に調整し(ツンモの術という)、極寒の中でも薄着でいたらしいが、彼は空を飛ぶことも出来たと聞く。
このような、体温を調整したり、宙に浮く術は、スコットランド出身の哲学者M.マクドナルド.ベインの著書の中で、ベイン自身がこれを伝授され、駆使する話があり、とても興味深い。
体温を自在に調整したり、宙に浮いたりは、非現実的と思われるかもしれない。ところが、ベインの本では、チベットの数多くの風景や人々の様子が、まるで目に浮かぶように実にリアルに描写されている。また、チベットの険しい山岳地帯を、大地が凍り付き、吹雪が吹き荒れる中で旅する恐ろしい困難さや、宿泊していた小屋に猛獣が現れたり、盗賊に出会った際の様子や、それらの危機を回避した時の臨場感、危機感など、作り話でここまでの迫力は出せないと感じる。
それは、まるで、マグリットの絵のようだ。ベインの本の神秘現象の記述も、彼は、作り話ではなく、単なる事実として書いている。そして、私は別に疑ってはいない。
なら、マグリットの絵にあるようなことが、実際にあるとしても、それはそれで良いと思う。
そして、幼い頃に見た洋館に住んでいた人達も、空を飛んでいたか、あるいは、そんな建築をするのは、かつては、空を飛んでいた人もいたからかもしれない。
イエスも、復活した後、空に浮かんで消えたのではなかっただろうか?
中国には、そのように、宙に浮かんで消える仙人の話は多い。日本にもある。
虚空に消え去る仙人は、仙人の中でも最高ランキングなのだと聞いたことがある。もちろん、消えるだけでなく、自在に現れる。消えるというのも、この世界から居なくなるというだけで、異界に移動したということなのだ。
イエスは、磔になるまでは本質的に人間だったが、復活した時は完全な存在であったということなのかもしれない。ラマナ・マハルシもそのようなことを言っていたと思う。
お釈迦様が、空中に浮かんで現れるという場面も、経典の中によくあると思うし、悟りを開いた人がそのような能力を持つことは、あちこちの経典に書かれていると思う。
宇宙飛行士の古川聡さんが、宇宙で痩せたという話をされていた。
無重力状態では、空腹感が少なくなるよおうだ。それで、あまり食べなくなるのだ。
私が、ある時突然、1日1食の菜食主義者になったのも、空腹を感じないとまではいかないが、毎日、中国易筋経の秘法である腕振り運動を熱心にやっているうちに、関英男博士の仮説の通り、体内に、GTP(Gravitonized Particle:重力子が複数集まった粒子)が蓄積され、神経が重力を感じる度合いが減り、空腹度が弱くなっていたのかもしれないと思う。
※当ブログ内の腕振り運動に関する記事へのリンク
腕振り運動で若返る原理
天使か妖精のように軽くなる方法
地球や天と共鳴する腕振り運動
腕振り運動の効果、最新レポート
特に最近では、私は、1日1食の菜食というのが、あまりに当たり前になり、全く意識をしなくなった。ただ、身体がひどく軽くなったのを感じている。それは、体重の問題ではなく、丁度、幼い子供の時に、いくらスキップしても疲れなかった時の感覚なのである。子供の時は、GTPを大量に有しているが、GTPは、減る一方で決して増えることはない。しかし、腕振り運動をやれば増えるのであると考えられる。中国の武闘派の気功で、せい手(スワイソウ)と呼ばれる腕振り運動が行われているところがあるのもうなづけるのである。
子供は、幼い頃は、ご飯だよと呼んでも、むしろ遊びに夢中なことが多く、それほど食欲は強くない。そんな頃の子供は無限のエネルギーを持っているようだ。しかし、食べ盛りになるほど、身体が重くなって疲れるようになるのだ。
だが、ある程度の年齢になっても、極端に少食な子というのは、どこか天使か妖精のような雰囲気がある。彼女達(女の子に多いように思う)は、あまりに食べないので、親や教師に怒られることもある。なんらかの理由で、そんな子はGTPを多量に持っているのだ。彼女達に無理に食べさせるようなことをしてはいけない。他のGTPを失った子達と同じ量の給食を食べるのは、彼女達にとって苦痛でしかないのだ。
私も、そんな少女を1人知っていた。中学入学の際に、制服の試着をした時、あまりに身体が細いので、洋服屋の人に驚かれたという。だが、ガリガリという感じはなく、優雅で、天使のように美しかった。彼女も、ほとんど食事をしなかった。きっと、本当に天使だったのだ。
私は、食事は夕食だけで、食べるのは、パン(食パン1枚)、野菜、果物、ナッツと、後は豆類くらいだ。食べようと思えば、意外に沢山、美味しく食べられるが、数日経って調子が悪くなることがあるようだ。最近も、会食が続いていて、脂っこいものや、魚介類も食べたが、ある日突然、体調を悪くして寝込んだことがあった。
さっきも書いたが、今の私は、体重のせいばかりでなく、あまりに身体が軽く感じ、他の人が停止しているように感じることがよくある。
あまり表立たないが、普通に宙に浮いたり、草の上を歩けるような人の話はよくある。イエスは水の上を歩いたが、ベアード.T.スポールディングの『ヒマラヤ聖者の生活探求』では、流れの速い川の上を歩く聖者達も数多く登場する。そして、彼らは言う。「あなた達にだって、すぐにでもできますよ」と。
もちろん、世間の教義や信念にひれ伏している間は、望むべくもない。だが、人にはそのような可能性があることは大いに信じるべきであろう。
ダリではあまり感じないが、マグリットの絵を見ていると、不可思議な力に目覚めるような気もする。幼い子供が、あるいは、幼い子供のようになってあの絵を見れば、ただの人間でいることはきっとできないだろう。
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威容に満ちた古い邸宅で、屋根は空に高くそびえていた。そのような建物は他にはなく、そこだけが異世界ででもあるようだった。
私は、どんな理由だったかは分からないが、中の様子を見たことがある。
私が見たそこは、日本の家には見られない広間のような場所だったと思う。居間にしては広過ぎ、生活感が感じられなかったからだ。
天井がすごく高い。そして、はるか高いところにある壁に窓が付いていた。低い場所にある窓と変わらないもので、カーテンすら付いている。今なら、あんな高い場所の窓をどうやって開け閉めするのだろうとか、あるいは、そもそも必要なのかと思うかもしれないが、その時の私は当たり前に受け入れていたのかもしれない。
そして、ある日、それらの窓よりさらに高い場所・・・ほとんど天井の真下にあった窓が空いていて、そこにこうもり傘が掛けられているのを見た。それを見た時、私の目には、その窓から出入りする者の姿がとても現実的に想像できた。
一昨日(勤労感謝の日)、私は、昼間に椅子に座ったままうたた寝した時、夢の中で、天井の高い建物の中で宙に浮かび、床からはるかに離れた高いところにある窓から外を覗いていた。天井がとても近かった。私は、何の違和感もなく、ごく普通のことをしているように感じていたが、とても気分が良かった。
目が覚めてから、先に書いた、幼い日に見た洋館のことを思い出したのだ。
私は、あの洋館に住んでいた人達は、宙に浮いたり、空を飛ぶことができるのだろうと思っていたに違いない。
シャガールの絵には、空を飛ぶ人々がよく出てくることをご存知かもしれない。シャガールの、それらの絵は叙情性で空想的なものだが、マグリットの絵の空を飛ぶ人達は、とてもリアルに描かれている。非日常的なものをリアルに描くと、ロマンチックというよりは神秘的で、恐く感じることもあると思う。
また、マグリットの絵には、巨岩が空に浮かんでいるようなものもあり、それもまるで風景画のように写実的で、丁度、『天空の城ラピュタ』のようにも感じる。
ただ、マグリットの絵は、幻想絵画としても、ダリのように、いかにも超常的というのではない。
冗談を真顔で言うのは、あまり趣味の良いことではない場合があるが、まさに、マグリットの絵は大真面目に冗談をやっているように思える。
言ってみれば、ダリの絵は、最初から冗談であることが分かる安心感があるのだが、マグリットのものは「俺は確かに幽霊を見たのだ」とでもいった、冗談とも本当とも分からない不安をどこかに感じさせる。
マグリットの絵は、異常な部分にも、異常性を認めさせない雰囲気がある。
それで、マグリットは、「僕の絵のどこが異常なんだい?」って言いそうな気がするのだ。
オウム真理教の事件以来、あまり聞かなくなったような気もするが、インドには、空中に浮くヨーギ(ヨガ行者)がいるらしい。ミラレパというヨーギは、ヨガの秘法で体温を自在に調整し(ツンモの術という)、極寒の中でも薄着でいたらしいが、彼は空を飛ぶことも出来たと聞く。
このような、体温を調整したり、宙に浮く術は、スコットランド出身の哲学者M.マクドナルド.ベインの著書の中で、ベイン自身がこれを伝授され、駆使する話があり、とても興味深い。
体温を自在に調整したり、宙に浮いたりは、非現実的と思われるかもしれない。ところが、ベインの本では、チベットの数多くの風景や人々の様子が、まるで目に浮かぶように実にリアルに描写されている。また、チベットの険しい山岳地帯を、大地が凍り付き、吹雪が吹き荒れる中で旅する恐ろしい困難さや、宿泊していた小屋に猛獣が現れたり、盗賊に出会った際の様子や、それらの危機を回避した時の臨場感、危機感など、作り話でここまでの迫力は出せないと感じる。
それは、まるで、マグリットの絵のようだ。ベインの本の神秘現象の記述も、彼は、作り話ではなく、単なる事実として書いている。そして、私は別に疑ってはいない。
なら、マグリットの絵にあるようなことが、実際にあるとしても、それはそれで良いと思う。
そして、幼い頃に見た洋館に住んでいた人達も、空を飛んでいたか、あるいは、そんな建築をするのは、かつては、空を飛んでいた人もいたからかもしれない。
イエスも、復活した後、空に浮かんで消えたのではなかっただろうか?
中国には、そのように、宙に浮かんで消える仙人の話は多い。日本にもある。
虚空に消え去る仙人は、仙人の中でも最高ランキングなのだと聞いたことがある。もちろん、消えるだけでなく、自在に現れる。消えるというのも、この世界から居なくなるというだけで、異界に移動したということなのだ。
イエスは、磔になるまでは本質的に人間だったが、復活した時は完全な存在であったということなのかもしれない。ラマナ・マハルシもそのようなことを言っていたと思う。
お釈迦様が、空中に浮かんで現れるという場面も、経典の中によくあると思うし、悟りを開いた人がそのような能力を持つことは、あちこちの経典に書かれていると思う。
宇宙飛行士の古川聡さんが、宇宙で痩せたという話をされていた。
無重力状態では、空腹感が少なくなるよおうだ。それで、あまり食べなくなるのだ。
私が、ある時突然、1日1食の菜食主義者になったのも、空腹を感じないとまではいかないが、毎日、中国易筋経の秘法である腕振り運動を熱心にやっているうちに、関英男博士の仮説の通り、体内に、GTP(Gravitonized Particle:重力子が複数集まった粒子)が蓄積され、神経が重力を感じる度合いが減り、空腹度が弱くなっていたのかもしれないと思う。
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腕振り運動で若返る原理
天使か妖精のように軽くなる方法
地球や天と共鳴する腕振り運動
腕振り運動の効果、最新レポート
特に最近では、私は、1日1食の菜食というのが、あまりに当たり前になり、全く意識をしなくなった。ただ、身体がひどく軽くなったのを感じている。それは、体重の問題ではなく、丁度、幼い子供の時に、いくらスキップしても疲れなかった時の感覚なのである。子供の時は、GTPを大量に有しているが、GTPは、減る一方で決して増えることはない。しかし、腕振り運動をやれば増えるのであると考えられる。中国の武闘派の気功で、せい手(スワイソウ)と呼ばれる腕振り運動が行われているところがあるのもうなづけるのである。
子供は、幼い頃は、ご飯だよと呼んでも、むしろ遊びに夢中なことが多く、それほど食欲は強くない。そんな頃の子供は無限のエネルギーを持っているようだ。しかし、食べ盛りになるほど、身体が重くなって疲れるようになるのだ。
だが、ある程度の年齢になっても、極端に少食な子というのは、どこか天使か妖精のような雰囲気がある。彼女達(女の子に多いように思う)は、あまりに食べないので、親や教師に怒られることもある。なんらかの理由で、そんな子はGTPを多量に持っているのだ。彼女達に無理に食べさせるようなことをしてはいけない。他のGTPを失った子達と同じ量の給食を食べるのは、彼女達にとって苦痛でしかないのだ。
私も、そんな少女を1人知っていた。中学入学の際に、制服の試着をした時、あまりに身体が細いので、洋服屋の人に驚かれたという。だが、ガリガリという感じはなく、優雅で、天使のように美しかった。彼女も、ほとんど食事をしなかった。きっと、本当に天使だったのだ。
私は、食事は夕食だけで、食べるのは、パン(食パン1枚)、野菜、果物、ナッツと、後は豆類くらいだ。食べようと思えば、意外に沢山、美味しく食べられるが、数日経って調子が悪くなることがあるようだ。最近も、会食が続いていて、脂っこいものや、魚介類も食べたが、ある日突然、体調を悪くして寝込んだことがあった。
さっきも書いたが、今の私は、体重のせいばかりでなく、あまりに身体が軽く感じ、他の人が停止しているように感じることがよくある。
あまり表立たないが、普通に宙に浮いたり、草の上を歩けるような人の話はよくある。イエスは水の上を歩いたが、ベアード.T.スポールディングの『ヒマラヤ聖者の生活探求』では、流れの速い川の上を歩く聖者達も数多く登場する。そして、彼らは言う。「あなた達にだって、すぐにでもできますよ」と。
もちろん、世間の教義や信念にひれ伏している間は、望むべくもない。だが、人にはそのような可能性があることは大いに信じるべきであろう。
ダリではあまり感じないが、マグリットの絵を見ていると、不可思議な力に目覚めるような気もする。幼い子供が、あるいは、幼い子供のようになってあの絵を見れば、ただの人間でいることはきっとできないだろう。
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