「親切が仇(あだ)になる」という言葉がある。仇とは、「害をなすもの、とか、危害」という意味だ。
この言葉は、断じて嘘である。親切が害になるはずがない。
こう言うと、「ろくでなしや、甘ったれに金を与え続ければ、そいつらをますます駄目にするじゃないか?」と反論したがる人もいるかもしれない。
それはおかしい。
そんな愚かな行為を親切と解釈することが、あまりにおかしいのだ。

自我を満足させる行為は親切ではない。親切の中に自我はない。
ろくでなしや甘ったれに金を与えるのは、単に自己満足なのだ。

過保護が悪いという。
全くの嘘だ。保護はいくら大きくても良いものだ。
しかし、問題になる過保護とやらは、全く保護していないばかりか、弱い人達を守る衣服すら剥ぎ取っているのだ。
世間でいう過保護は、保護する力を奪い去りながら、保護しているという幻想で自己満足しているだけなのだ。
子供達の保護が足りない。全く足りない。子供達は、みんな死に絶えている。少しは保護したらどうなのか。

我が心の師、政木和三は「情けは人の為ならず」について、「情けは、巡り巡って自分に返って来るので、おおいにかけろ」と述べた。
半分は合ってる。
しかし、情けは人のためにもなるのだ。
情け、親切、思いやり、慈愛・・・善意が人のためにならないはずが無い。そして、自他の区別なく良いものなのだ。

親切とか情けは、100万円持っている人が10万円をやることじゃあない。30万円でもない。
100万円全部あげることだ。
それ以外を親切とも、情けとも、思いやりとも、慈愛とも言わない。
数千億円あるものが百億円出すのは、愛ではない。欺瞞か、そうでないなら、ただの見栄か気紛れだ。
見栄や気紛れが悪いとは言わない。だが、見栄や気紛れで売名をしてはならない。それは、本人に仇をなす。
私は、相当な見栄っ張りの気紛れでいよう。

こんな時には、見栄も本当に有難いものだと思った。
~「ダイヤモンド製造家(H.G.ウェルズ)」より。ダイヤモンド製造実験を行っている男が、その実験に必要な炭を買う金を、女性達への見栄で恵んでくれた男に対して思ったこと~









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