百貨店やレストラン、その他の販売やサービスを行うお店のテレビCMでは、店員やサービス員を演じる役者さん達が、いかにも親切そうに愛想よく振る舞い「おまちしております!」と明るく言う。
しかし、それらのお店に実際に行くと、店員やサービス員達は、形ばかりの笑顔はするが、冷淡で覇気も無い。みんなやる気がないのだが、それは当たり前と思う。
自分の本当の才能を生かして、人々を喜ばせ、世の中を良いものにする仕事でないと、人は喜びを感じない。
しかし、多くの人がやっている仕事は、経営者が儲けることを目的としたビジネスの奴隷である。従業員は、いつやめても補充が効くように、規格化され、個性や能力は求められない。知力ではなく、体力のみ求められるので、しんどい仕事が多く、1人1人の客に親切にしていたら、身体がもたない。
今の会社は、株主と経営者のものである。両者をつなぐのは金だけだ。社員は決して能力は求められない。社員の能力で成り立つ会社は儲からないし、経営者にとっては危ういものである。言い方を変えれば、儲かる会社というのは、無能な社員だけでやっていける会社である。事業で儲ける才能とは、無能な社員でやっていける仕組みを作れることである。儲かる会社では、有能な人は皆、やめていくのである。

全ての職場で、従業員はロボットであることを要求され、人間らしく振舞えば、「勝手なことをした」ことになり、能力を発揮すれば、「余計なことをするやつ」になる。
もちろん、本当に無能で経験のない者の「勝手なこと」「余計なこと」は恐ろしいもので、そんな者を置いておけば、軍隊でいえば、味方に向かって鉄砲を撃つことになるだろう。しかし、だからといって、規格外のことを何もできない場所では、いつまでも、本当に人間らしい、能力のある仕事が出来ない。
学校教師、医者、警官といった人達も全くやる気がなくなっている。彼らこそ、規定以外のことは決してやってはならないことを、厳格に遵守させられている。しかし、彼らは給料が高く、身分も安泰で、そもそも、そんな仕事を選んだ動機が、他の冒険的だが不安定な仕事をする勇気がないことなのだから、非常に苦しいのである。それは不健全な苦しさで、対処のしようがなく、ただ抑圧になる。結果、極度に無能化して、医者が血液型を間違えて輸血したり、教師が猿のように、弱い立場の異性の生徒をメス(あるいはオス)としか見れなくなる。もう、全体的にそうなってきている。

本当に良い高級レストランであれば、シェフも従業員もやる気があり、行くことが楽しいのだが、そんな店は、もう儲からないばかりか、成り立たない。
今は、機械化され、効率化され、表面的に美味しいだけの店でなければ儲からない(あえて具体名は上げないがお分かりと思う)。逆にいえば、儲かっているレストランに行けば、客も、身体と心を腐敗させる。
私は、ほとんどのレストランには、行くだけで不快なので、決して行かないし、そんなところの食事は、身体に負担なのである。本当に健康であれば、少々悪いものを食べても平気なものだが、超健康な私にここまで影響があるなら、そんなところに頻繁に行く人の身体は大変なことになっているだろう。現代は、大半の人が、身体にかなりの問題を抱えているというのは、当然のことだと思う。
私は、スーパーで売っている、パン、野菜、果物、チーズ、ナッツしか食べないが、人によっては、これらも悪いという人がおり、そうかもしれないが、この程度であれば、身体や心が健康であれば、簡単に対処でき、何の問題もない。言い換えれば、これで支障がある人は、主に、心に問題がある。
大儲けしているレストランで、様々な問題が発生し、中には倒産に追い込まれてしまったところもあるが、それも神の摂理と思う。ウイルスというものは、神の意志を行う場合も多いのだ。今後、さらにそいういった事件は起こるし、医学では対処できない難病奇病も増える。しかし、宇宙の理に則っている限り、何の心配もいらない。それを、荘子は、道(タオ)に従う、道と一体化する、道と共に流れるなどと言ったが、彼の真意を掴めば良いのである。黒住宗忠が言うように、神に全て任せ、神と一体になれば良いのである。
かつて、ある有名な英国軍大佐が、第二次世界大戦で、数百名の部下に聖書の詩篇91を暗記させ、歴戦を重ねても死者1人も出さなかったが、彼はやむなくだが、戦争に参加したということを除けば、それに倣えば良いのである。









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