「怖いもの知らず」という言葉は、無知で未熟な愚か者を指す言葉として使われる。
しかし、我々は怖いもの知らずであることが、時に偉大な力になることを認めざるをえない。
英語の格言に、

Fools rush in where angels fear to tread.
愚か者は天使の恐れる場所に走りこむ。

というものがある。これは、怖いもの知らずを表す格言だ。つまり、愚か者は怖いもの知らずなのだ。しかし、そんな愚か者が、天使でも不可能なことをやり遂げてしまうことがある。
自分の子供がマンションの窓から落下するのを見た母親が猛然とダッシュし、見事子供を救った。しかし、後で物理学者が計算したら、その母親が走った速さは、世界記録を超えていたとしか言えなかった。しかもサンダル履きで。ある意味、彼女は愚かな状態であったが、その愚かさが奇跡を起こしたのだ。
こういったことは火事場の馬鹿力として知られ、実際、緊急時に、大の男が数人がかりでも動かせないものを、か弱い女性が1人で運んでしまったという話はあちこちにある。しかし、愚かでなければ、そんなことをしようとはしないだろう。

今は、健康上での事故の恐れから実施されることはあまり無いと思われるが、饅頭食い大会というものが行われたことがあり、相撲の力士級の体格の持ち主が脱落していく中、細身の男性が優勝してしまったという話がある。その男性は漫画を読みながら、飄々(ひょうひょう)と食べ続けた。彼が言うのには、自分がどれだけ食べたか考えたら食べられなくなるので、漫画を読むことで気をそらすの勝利の秘訣なのだそうだ。これもまた、饅頭を食べ過ぎると身体に悪いということを知らないという、怖いもの知らずの状態がもたらした力と言える。

だが、怖いもの知らずがいつもうまくいくとは限らず、それどころか、多くの場合は悲惨な結果となる。
ある男が、夜中に山中を越えてやってくると、到着した場所の人々はぞっとした。その山は、昼間でも危険な難所だったのだ。やって来た男は、ほとんど山道を歩いたことがない怖いもの知らずだったからやれたのだが、普通は命を落としている。
医学的には、愚か者と言うしかないような、怖いもの知らずのことをやりながら健康な者もいれば、同じことをして命を落とし、医者を満足させる者もいる。

怖いもの知らずが、愚か者の愚行になるか、奇跡の達成をもたらすかの違いは、何によるのだろう?
それは、無欲に徹することが出来るかどうかだ。
歌でいえば、美空ひばりさんの『柔』にあるとおり、「勝つと思うな思えば負けよ」「人は人なり、のぞみもあるが、捨てて立つ瀬を越えもする」である。
この歌は、実際に武道の達人から聞いたことを、作詞者の関沢新一さんが詩にしたものと聞く。達人には、勝とうという欲望はない。
イエスが、「幼い子供のようにならなければ天国に入れない」と言い、「金持ちが天国に行くのは、駱駝が針の穴を通るほど難しい」と言ったことも、そのような意味にも取れると思う。しかし、金持ちだって、自分の金のことを忘れていれば天国に入れるはずだ。
若くありたいと思っていろいろやる者はかえって老ける。年齢のことなど忘れている者がいつまでも若いのである。









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