親の転勤などで、子供の頃、家を引っ越した経験のある人もかなりいるだろう。そして、大抵の場合、学校も転校するのだろう。
ところで、転校をテーマにした小説や何かは結構あると思う。つまり、大人とは違う、子供のピュア(純粋)な感性では、別れや出会いというものがどんな意味を持つのかということが、とても感動的で、芸術的なものであるからだろう。

実際、子供にとっての出会いと別れというものは、大人とはまるで違う。ところが、あまり気付かないかもしれないが、それはとても神秘的なのである。つまり、大人にとっては予想も付かないものなのだ。

別れについていうと、子供の別れというのは、不思議なほどあっさりとしているのだ。
例えば、幼稚園の卒園式で泣く子なんていない。昨日まで、仲良く一緒に過ごした子と、もう一生会えなくなるかもしれないに関わらずだ。まあ、それを理屈で理解している子はいないとしても、子供は観が鋭い。だから、みんなとはもう肉体では会えないということを、案外と分かっているのだ。それでも、ほとんどの場合、さほど感情的にはならないのだ。

私も、小学4年生の時、引っ越したことがあるが、2年間親友だった子と最後に会った時のことを憶えているが、本当に普通だった。親友とは言わないまでも、仲良くしていた子達のほとんどには、挨拶もしなかったし、しようとも思わなかったのだ。
いよいよ、引越し先へ車で出発する時、近所の遊び友達が何人か見に来たが、別に愛惜も嘆きもない。今思えば、本当に、ちょっとお出かけする時と変わらない。そして、そのまま二度と会っていないし、おそらく、もう一生会わないだろう。

子供とはそんなものだと言えばそれで終わりだが、実は、重要なことを見逃している。それは、子供は、大人ほどには、英知というものから離れていないということなのだ。
どういうことだろうか?
それは、たかだか、卒園だの、引越しなどで、別れるなんてことはあり得ないことを、子供は知っているのだ。もっと端的に言えば、物理的な距離など重要でなく、真理を言えば、時間や空間なんてものが本当にある訳ではないことを、子供は知っているのだ。

子供の脳は、9歳頃までは、時間的な因果関係を理解しないと言われる。それは、脳が未発達だからだと理解されている。しかし、そうではない。子供の脳に足りないところがあるのではなく、逆に、大人の脳が、時間的な因果関係という幻想を持つようになっただけだ。子供にとっては、現在しかないのだ。過去も未来も、現在として体験している。そして、これは、悟りを開いた聖者が言うことと同じなのだ。道元の『正法眼蔵』にもそう書かれてあるのである。

子供が異常に記憶力が良いのに気付くことがあるかもしれない。彼らはどんな細かいことでも思い出すことがある。そして、トランプの神経衰弱で競うと、大人が余計な支配をしない限り、まるで敵わない。
子供は、記憶しているわけじゃあない。簡単に過去に戻ってしまうのだ。大人が言うところの過去を、そのまま何度でも見ることが出来るのである。これを驚異的と思うかもしれないが、別に大人でも出来る。例えば、催眠術を使えば、どんな過去のことも鮮明に再体験できることはよく知られている。子供はそれを何の苦もなく、単独でやってのけるだけだ。場合によっては、前世のことまで知ってるような子供もいるが、それに関しては、本当の前世かどうかは分からない。自分の前世でないことも知ることが出来るからだ。

「別れても心は共にいる」といった言葉を聞いたことがあるかもしれない。
これは、慰めでも、空想でもない。ごく当たり前の真実だ。
私は、誰かと別れたことなど一度もない。相手が死んだとされる場合も同じである。
たかだか、空間や時間、そして、生死など、何の意味もない。
世俗に住むインドの聖者ニサルガダッタ・マハラジに、ある人が、「誰かが、あなたの首を鋭利な刃物で切りつけたらどうなりますか?」と尋ねたら、マハラジは、「胴体が頭部を失う。それだけのことだ。私には何の関係もない」と答えたらしい。ここまで肉体への執着を無くすのは少し難しいが、言っていることは正しい。

だから、アンデルセンの『もみの木』のように、未来への望みに生きることも、本当は幸福だった過去を懐かしむ必要もない。
すっかり老いた男性が、力に溢れていた二十歳の頃を思い出したり、老婆が、男達が皆いいなりだった17歳の頃を思い出して嘆く必要は無いのだ。
イェイツの詩で、彼の本心なのかもしれないが、「老人になっても、分別や安らぎなんてもんじゃなく、もう一度若くなってあの娘を抱きたいのだ」というものがあるが、それならそうすればいい。現象世界など、意識の影、幻想に過ぎず、そうと分かれば、どうでも良いことではあるのだけれど、200歳になっても二十歳にしか見えない女性などもいる。それは今の世では特異なことであるかもしれないが、ある進化した星では、地球で言うところの800歳くらいで老化が始まるが、それはさほど顕著でもなく、自分より900歳若い娘達との区別などは付かないらしい。地球も、今のままでは望みは薄いが、進歩が叶うなら、それに近付くことだろう。









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