世界的な文学作品であっても、もし、出版の時期や場所が違っていたら、全く世に知られることなく消え去っていたと考えられる作品はいくらでもあるらしい。
例えば、『アンクル・トムの小屋』などはそうであると聞いたことがある。
また、私は本を手にしたことが無いので、その本の解説あたりに書かれているのかどうか知らないのだが、『ハリー・ポッター 賢者の石』は、著者のローリングが原稿を持ち込んだ、どの出版社も、全く見向きもせず、その中で、たまたま原稿を自宅に持ち帰っていた出版社の社長の家の幼い娘が偶然それを読み、社長である母親に「続きが読みたい」とねだったのが出版のきっかけであったという。

逆に言えば、ことによったら世界的な作品になっていたかもしれないのに、誰にも知られることなく消え去ったか、あるいは、今でも知られることなくひっそりとどこかに存在している作品だって、いくらでもあるはずだ。
別に文学に限らず、アインシュタインに匹敵、あるいは、凌ぐ才能を持ちながら、肉体労働者で一生を終えた人なんてのも、きっと沢山いるはずだ。
いや、それどころか、実際は、世に知られない傑作、世で出ない天才の方が圧倒的に多いのではあるまいか?
かつて、モハメッド・アリに番狂わせと言われたKO負けを喫するまでは無敵の世界ヘビー級王者だったジョージ・フォアマンは、「私より強い若者なんていくらでもいる」と言ったらしい。
だが、世に出ることが、それほど重要なことであるとは限らない。そして、業績によって人の価値が決まるのでもない。人間の本質的な価値に優劣などはない。アインシュタインだって、自分が重要人物だとは全く思っていなかったことは、彼の普段の言動からも明らかなのだ。

1949年に出版された、ポーランド出身のアメリカ人、ジョージ・アダムスキーの小説
PIONEERS OF SPACE
A Trip to the Moon,Mars and Venus

宇宙の開拓者
月、火星、そして、金星への旅

は、最も悪いタイミングで出版されたのだと思う。もう少し後の時代か、別の時代に出版されていたら、もしかしたら世界的な作品になっていたかもしれない。
アダムスキーは、結局、小説家としては有名にならなかったが、その後、宇宙人とのコンタクティー(接触者)として有名になった。しかし、その評価は賞賛よりは非難が圧倒的に多く、一般的にもペテン師のイメージがあることが多いと思う。
アメリカは、第2次世界大戦を、本土はほとんど無傷で終え、戦争による好況を背景に、軍事、経済の躍進を目指し、国民への思想統制を強め、原子力エネルギーの利用を大々的に推し進めようとしていた。そんな時に、あのような小説が人気が出れば、アメリカ政府にとってはあまりに都合が悪かった。
小説に描かれた、地球より数万年進歩した火星や金星の様子は、感覚的に本物のユートピアだと感じることが出来るものだった。人々は皆平等で、誰もが豊かであり、平和に、そして、活気に溢れて生きている。貨幣経済や暴力というものは、歴史的な概念でしかなく、もはや彼らはそれを理解することすら困難になっていた。科学は、地球のものとは異なった思想での発展を遂げ、非常にシンプルだが、極めて高度で安全である。まあ、ここに簡単に表現できるようなものではないばかりか、小説においても、実際に火星や金星の様子を見た地球人も、表現する術を持たないと述べる。
平等や平和が、怠惰と衰退しかもたらさないという考え方をする者もいると思う。私もかつてはそうだった。競争あってこそ、進歩があると思えたのだが、それは一種の洗脳であり、国家の思想統制であろう。今は、そんな考え方の方がおかしくて仕方がない。
アダムスキーの一般的なイメージの低さは、アメリカ政府が仕組んだことであるのだと思う。丁度、日本人が、二宮尊徳に関する作り物のイメージを持っているのが、戦後のアメリカによる日本人への思想統制戦略であったようなものだろう。
尚、上記のアダムスキーの著書は、今年8月、徳間書店より、『UFO基本教書 地球人よ、ひとつになって宇宙へ目を向けなさい!』として、初めて翻訳が出版された。









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