福嶋原発の大惨事の原因は、1000年に1度しかないような規模の津波の対策をする必要はないという認識があったことだと言われる。その1000年に1度が今年だったわけだ。
これはアメリカでは全く考えられないことで、アメリカでは100万年に1度でも、可能性があれば備えるという。
しかし、別にアメリカでなくても、私のようなソフトウェア開発者は、その可能性がいかに僅かでも、論理的にあり得るならば、それは必ず起こると考えてシステム開発するのは当然で、問題は、その可能性に気付くかどうかということなのである。

あるソフトウェア技術者は、夜中に突然目が覚め、冷たい汗を流してぞっとした。別に幽霊を見たのではない。自分が開発したシステムに、可能性はほとんどないながら、それがもし起これば、悲惨な結果をもたらすことに気付いたのだ。

例えば、こんな話ではどうだろう。
テロ組織が、あなたの住む町で、10件の家に爆弾を仕掛けたと表明する。町の世帯数は十万とする。爆弾が当たる可能性は0.01パーセント。文字通り、万に1つだ。まあ、滅多に当たるものではない。しかし、それでもあなたは平気でいられるだろうか?
コンピュータシステムを開発する際、ユーザーとの打ち合わせを行うのだが、我々システムエンジニアが、「こんなことが起こる可能性はありますか?」と尋ねると、ユーザーはよく、「それは滅多に無いねえ」「まず、無いよ」「ほんのたまにある程度だよ」と言うことがある。ユーザーの感覚では、それは、「ない」に等しいのだ。しかし、それは、システムエンジニアにとっては「ある」以外のなにものでもないのである。

どうせいつかは死ぬんだ。それが、たまたま今日になっただけのことさ。
~『レイアース』(CLAMP原作のアニメのオリジナル作品)より~









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