平凡な人間が、神のような力を得れば、最高に幸福かというと、そうでないばかりか、とんでもない悲劇かもしれない。
2人の最高のSF作家が、共にそんなことを洞察した作品を書いているのが面白い。

1つは、英国のH.G.ウェルズの『奇跡をおこせる男』という短編小説だ。
平凡な店員だが、物知りで議論好きな若い男性に、キリスト並、あるいは、それ以上とも思われる力が備わるが、彼はきりきりまいさせられた挙句、その奇跡の力により、自らの奇跡の力を消滅させる。
ウェルズは、19世紀に、『タイムマシン』や『宇宙戦争』という作品を書き、同じ英国の世界的作家コリン・ウィルソンは、自らの哲学的作品ではウェルズの『ポーリー君の物語』を度々引用し、小説の形を借りた人間探求の書『賢者の石』では、登場人物の口(しかも2人)を借り、SF分野に限らず、ウェルズを最高の作家と言わせている。

もう1つは、アメリカのL.ロン.ハバートの『幻の四十八時間』という、やはり短編作品だ。
天使と悪魔が論争に決着をつけるため、ある、平凡と言うにも足りない女性に奇跡の力が与えられる。その女性は、恋愛も一切の冒険もしないまま60歳を過ぎ、そして、人生の終わりを迎えたのだった。
そして、天使により万能の力を与えられたその女性には、とんでもない結末が訪れ、天使は悪魔に屈服する。
ハバートは、新興宗教団体サイエントロジーの教祖としては、一部で悪評もあるが、自己啓発や教育の分野で世界的な評価を得ており、現在も多くの世界的人物が彼を信奉している。作家としては、アイザック・アシモフ、レイ・ブラッドベリ、スティーブン・キングらがハバートの作品を絶賛し、ある調査では、SF分野に限らず、作家として、スタインベック、ヘミングウェイ以上と評価されている。

心を磨かないまま、強大な力を得ることは危険なことであるに違いない。
それは、そこそこの財力や権力といった程度のものですらそうであろう。ましてや、神に匹敵するほどの力であれば、世界より先に、自らを滅ぼすことになるのだろう。

谷川流さんの小説『涼宮ハルヒ』シリーズ最新刊『涼宮ハルヒの驚愕』では、神の力を得ることも可能であった、佐々木という姓だけで登場する美少女は、そんな力を得ることを拒否する姿勢を貫く。高校2年生という割には、落ち着き、大人びた少女ではあるが、自分の未熟さを自覚し、そんな力を得ればロクなことにならないことを確信しているのである。大したものである。

だが、我々は、自我である自分が、真の自己たる聖霊の背後に控えるべきことを知れば、無限の力と自然に一体化するのである。
イエスが、「汝敗れたり。わが後方に退け、サタン!」と言い、「私は世間に勝ったのだ」と言ったように、我々も、自我を支配して退かせ、世間の教義や信念を打ち破れば、イエスのようにキリストとなる。イエスも、「お前たちは、私より大きなことができるだろう」と言ったのである。
新約聖書の福音書には、そのためのイエスの言葉が数多くあるのだけれど、その解釈は難しい。『ヒマラヤ聖者の生活探求』の著者である、アメリカの科学者、採鉱家、探検家、著述家、講演家である、ベアード.T.スポールディングは、『聖書』と『バガヴァッド・ギーター』は等価値であるが、本来は、『バガヴァッド・ギーター』を読む方が良いと述べる。ただ、子供の頃から聖書に馴染んでいる西洋人は、やはり聖書を読むべきなのだと言う。だが、日本人であれば、『バガヴァッド・ギーター』を読むのが良いかもしれない。日本人にとっては、聖書を古事記と置き換えても良いかもしれない。しかし、日本人は古事記をあまり読んでいない。だが、『バガヴァッド・ギーター』と共に古事記を読めば、得るところは大きいと思われるのである。













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