人品自ずと顔に表れるというが、実際には目で決まるのである。
目は誤魔化せない。だから、力が無いのに強いフリをしたがる人間はサングラスで目を隠すし、逆に、強い人間が力を隠す時にもサングラスをするものだ。
女性の目の周りのメイクが派手になってきたが、ちゃんと見る目のある者から見れば、そのようなものに何の意味もない。素晴らしい男性からすれば不気味なだけであり、引き付けるのはつまらない男ばかりであろう。

だが、人知れず、何かを磨き続けると、力が付き、知らず知らず自信が生まれ、そして、目が変わる。
そんなあなたの目を見た人は、あなたを軽く扱うことは出来ず、あなたに逆らうこともない。力ある人物はあなたを重用しようとし(逆に避けることもある)、あなたが男なら、心の澄んだ女性であれば、その目の力を感じ、寄って来て慕うことだろう。
逆に、あなたがいつも軽んじられ、いじめられ、あるいは、親しまれないなら、その原因は目にある。もちろん、それは、単に世間でいう、目付きが良いとか悪いといったものではない。一般的に言えば悪い目付きでも、深い慈愛や知恵を感じさせる人もいる。

江戸時代に、ある目利きの武士が、たまたま出会った町人に何かを感じ、「何者?」と尋ねるが、町人は、「ただの職人です」と答える。しかし、その武士は、「いや、その目付き、ただものとは思えない」と言う。すると、町人が言うには、彼は生来の臆病者で、それを少しでも何とかしようと、10年以上、夕暮れ時に墓地に行ってしばらく過ごすことを1日も欠かさないのだと言う。
変わった例ではあるが、この話にも重要なヒントがある。この町人は、胆力を磨く修行をしたのだ。

我々も何か1つ、毎日磨き続けるべきである。
毎日、たゆまず熱心にやれば、それに関しては誰にも負けなくなる。そのようなものが1つあると、本物の力が付き、自信が付き、人生は生きやすいものになる。自然に相応しい道に導かれ、ものごとは円滑に進むだろう。そして、あなたの目は、誰が見ても惚れこむ、素晴らしいものになっているのである。

昔、勝新太郎が、寿司店で食事をしていると、客のある見知らぬ若い男性に惹き付けられ、思わず話しかけていた。
「お前、いい目してるな!名前はなんて言うんだ?」
「はい、稲葉浩志と申します」
それは、若き日の、B'zの稲葉浩志であった。

毎日磨くものには条件がある。
その条件には、世間の価値観などは何の関係も無いばかりか、世間で価値あることは全く相応しくないことも少なくはない。
それは、まず、自分で選んだものでなければならない。
また、我欲が動機であってはならない。つまり、得をするからやるというのでは絶対にいけない。
そうでなければ、逆に力を失い、自信どころか不安や恐怖を背負うことになり、目付きも悪くなる。例えば、学問への探求を持たない単なる受験勉強や試験のための勉強や、ただ、自分が儲けるためだけにやる商売、あるいは、虚栄心や優越感、それに、性欲を満たす目的だけの美容などがそうだ。

また、「私は、目付きが良くなるようなことをやっているだろうか?」と問うのも良いだろう。
これは、「天に恥じないことをやっているか」「内なる魂に従っているか」ということと同じである。
答が「是」であれば、あなたには自信と力があるはずである。







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