NTTのフレッツ光のテレビCMを見る度、ぞっとするものを感じる。
井上真央さんが出演している、フレッツ光による、「Wi-Fi」と「インターネットテレビ」のCMである。
ある家族が、高速になったスマートフォン等の通信や、インターネットテレビに驚くと、おじいさんが、「それは念力です」とか「茶柱のせいじゃ」というが、その都度、井上真央さん演じるNTTの社員の様な人が、即座に、「ちがいます。光です」と否定する。
愛らしい井上さんが、おだやかではあっても、虫けらでも見るように冷笑し、また、消えて無くなれと言わんばかりに不機嫌そうにである。
おじいさんや、おじいさんに味方するお父さんの発言を、1つとして見逃さず、絶対的な立場から、彼らの発言を完膚なきまでに叩きのめし、沈黙を要求しているように感じる。
あんなものを見て、異様に思う人もいるのではと言うより、平気で見れる人の感性の方が私には信じられない。
あまり憶えていないが、NTTの、特にフレッツ関連のCMは、ほとんどがそうであるような気がする。

竹村健一さんとひろさちやさんの共著の、「いい加減のすすめ」という古い本だったような気がするが、ガリレオ・ガリレイのことが書かれていた。
私の記憶違いもあると思うが、概ねでこんな内容だったと思う。
日本では、ガリレオは、ぎりぎりまで自分の主張を貫いた英雄的人物のように思われているが、海外のある良識ある学者が、「彼は小児病患者だ」と断じる。自分だけが正しいという態度とは、幼児のものでしかない。
「正しいものは正しい」という態度が必要な場合もあるとは思う。しかし、正しいことが大して重要でない場合もある。
上にあげた本にもあったが、世界には、今でも、地球が丸いとか、地球のような惑星が太陽の周りを回っているということを知らない人は少なくない。ある町では、我々のような科学の一般的知識のある人と、地球は平べったいと思っているような人が一緒に住んでいるのだが、それらの人たちが仲良く暮らしてるのだそうだ。誰かが、「地球は亀の背中のようなものだ」と言っても、地球が丸いと教育された人が、蔑んで「違います」とは言わない。地球=亀の背中説を信じる人達の方も、地球が丸いと言う、自分には信じられないことを言っているとしても、その人達を憎まない。
自説を主張し、さかしらを立てて争うより、ずっと優れた、平和な良い社会ではないだろうか?

スティーヴン・ホーキングの本で、数学者・哲学者・論理学者で、ノーベル文学賞も受賞した英国のバートラント・ラッセルが、一般向けの科学の講義をした時の話が載っている。ラッセル伯爵(彼は貴族である)が、地球や地動説の話をすると、聴衆の中の1人のおばあさんが反論する。「世界は亀の背中の上なのよ」と。ラッセルは、「では、その亀はどこに乗っているのですか?」と尋ねると、おばあさんは、「まあ、若いのにオツムのよろしいこと!でもよくって?亀の下はずーっと亀なのよ」と言い、ラッセルを困らせる。そして、ホーキングは、未来の人たちから見れば、このおばあさんと我々に違いはないだろうと述べる。

スコットランド出身の科学者、著述家、教育家、探検家である、M.マクドナルド.ペインは、チベットで偉大な知恵者である僧に会い、感激しながら、自分がこれまでに学んだことを、その僧に話して聞かせた。僧は、うなずきながら、熱心に聞いていた。だが、ペインが話し終わった時、この大師(高徳の僧)は、「それは、そんなに大切なことじゃないのだよ」と言った。その途端、ペインは悟りを開いた。

言うまでもなく、科学やテクノロジは重要である。このこと自体を否定する人もいるし、それも1つの考え方とは思うが、私は科学、テクノロジの発達自体は良いことであると思う。
しかし、科学やテクノロジよりも、もっと偉大で大切なことがあるのだ。
それは、命や自然の英知といったもので、人によっては、それらを神とか、宇宙意識、あるいは、純粋な愛と言う場合もあるだろうが、我々は、それらが目に見えないからといってないがしろにし、完全に否定しないまでも、科学やテクノロジより低いものとして扱っているのである。いわば、自我を神の上にあるものとしているのだ。
知識や記憶で構築された自我の主張を絶対的なものとする態度が、全ての悲惨の元なのではないだろうか?

そもそも、我々が、地球が丸いことや地動説を知っていると言っても、それは、単に言葉で知っただけの知識であり、自分で確証を持てるように確かめた人がどれくらいいるだろう。ましてや、金星が高温高圧の、濃硫酸の雲に覆われた星であるとかいうのは、単に、そう思わせられているという以上のものでは決してない。

あのCMで、フレッツから派遣された美しきエージェントの女性(井上真央さん)が、「念力です」とか「茶柱のせいじゃ」と言うのに対して、「いいえ、光回線を活用しているためです」と説明するのは当然である。しかし、それでも、念力だと言うなら、真面目に言ってるのか冗談かに限らず、「そうなんですか」「そうかもしれませんね」と言っておけば良い。そんなに大切なことではない。ひょっとしたら、そう言っている彼女が、血液型性格判断を信じていたり、テレビや雑誌の占いに一喜一憂しているかもしれない。
人間、誰でも、少なくとも迷信の10や20は持っている。

「地球は丸く、回転しながら太陽の周りを回っています」
「いいえ、世界はじっとしてる亀の背中の上なのよ」
「そうなんですか。では、亀さんには、なるべくおとなしくしていて欲しいですね」
「そうね。それは私たちの心がけ次第よ。邪な行いが多くなると、亀は時々、身体を揺すって地震を起こすわ」
「なるほど。さすがにお年よりは物知りです。我々は、出来る限り心正しくありたいものですね」
「あなたも、お若いのによく分かっていらっしゃるわ」

今、Amazonを見たら、「ヒマラヤ聖者の生活探求」の続編とも言える、偉大な書「解脱の真理」がなんと在庫されている。今回の記事でご紹介した、M.マクドナルド.ペインの著作である。決して難しい本ではないと思う。むしろ、論理的でやさしい言葉で、大師の教えを述べている。著者が現代科学にも通じた西洋人であることも我々にとって良いことであると思う。







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