管総理がいつまでも居座るのを見て、外国は日本を馬鹿にしていると同時に喜んでいることだろう。日本相手の外交は百戦百勝だと分かるからだ。アメリカ、中国、ロシアはもちろん、北朝鮮ですら、概ね勝てると確信しているだろう。
なぜなら、日本にはスキーマ(策謀家)がいないことが分かるからだ。
総理を辞めさせるのは、策謀家の仕事だ。ところが、みんなストレートな方法で総理を辞めさせようとするから、総理も反発するが、どう言っても総理の立場は強いので、辞めさせられない。
誰かが、岡田幹事長が総理を説得しないといけないとか言ってたが、そんなことする訳ないじゃない?そんな地味で格好良くないことを。
つまり、みんな目立ちたがりのええかっこしいなのだ。
外国は、次は前原さんが良いと思っているはずだ。一番目立ちたがりのええかっこしいだからね。実は、自民党もそう思っているはずだ。
総理をどうやって辞めさせるかというと、総理が本当に嫌がることをせざるを得ないようにすることだ。例えばの話だが、現代の総理はみんな凡人で、特に今の総理は特別に目立ちたがりのええかっこしいなので、地味で格好悪いことばかりをせざるを得ないようにすればいい。ただし、それをやらせる者は身を捨てる必要がある。かなりの越権行為も必要になるかもしれないからね。それでも、1人が腹を切れば済むことだが、保身しか頭に無い日本の政治家に出来ることじゃないだろう。みんな、言うことだけは格好いいが、それだけなのだ。
世間では、小沢さんあたりが策謀家だと思っている人もいるかもしれないが、あの人は人情家のいい人だ。昔の参謀役のように、裏のあることをやる人じゃない。逆に言うと、外国にとっても、さほど恐い人じゃない。多少、嫌な相手という程度と思う。それでも、日本の国益を守るには、本当は最もマシな人ではないだろうか?我々は、好き嫌いじゃなく、そういうところを見ないといけないのだろう。

政治のことは置いておいて、人間の嫌いには2種類ある。
本当に嫌いなことと、心情、つまり、自我が嫌だと思うことだ。
本当に嫌いなことの中でも、高い所から飛び降りるといった直接命に関わることは別にすると、それは、幼い頃に植えつけられたもの、即ち、幼児期の刷り込みだ。これは、どうやっても変えられない。幼児期に、放埓な親に育てられると、物事をきちんとするのは一生嫌いだし、逆に、厳格な親に育てられると、奔放なことが出来ないのだ。ただ、親が子供に規律正しさを無理強いしただけの場合は、案外、親も本質は乱れているので、子供は猛烈に反発し、度を越して奔放になるのは、上流家庭のお決まりのようなものだ。
自我が感じる嫌いは、習慣に反するということで、これは、自分がどっぷりと浸かっている世間の教義や信念と異なることと言って良い。簡単に言うと、自分が持っている迷信に逆らうことを自我は嫌う。

学校に行くのが嫌いという場合、自我が嫌いというだけなら、不良になるくらいで済むが、本当に嫌いな理由があれば、病気になったり、下手をすれば自殺するだろう。
これが社会人であれば、命が、良い方向を教えてくれるので、ちょっと勇気を出してその方向に行けば、かえって良くなる。これを神の導きとか言うが、自分の命こそが神であるとも言える。
しかし、子供の場合は、いくら本当に嫌でも、行き場が全くない。だから、本当に病気になって、やっと学校から解放されるか、短絡的に死を選ぶ。大人は、それが本当に嫌いなのか、単にわがままなのかを正しく見極めないといけないが、世間では、子供のわがままの嫌いに従い、本当の嫌いは無視するという馬鹿なことが平然と行われているのである。
人間の脳にはね、「生きろ」という指令以外は入っていないのだ。だから、生きるためなら、回りの状況なんていくらでも変えられるのだ。それには、自我の嫌いは忘れることだ。もっと言えば、自我が作っている自己そのものを忘れることだ。後は命が本当にうまくやってくれる。命に従えば良い。それが神に従うということだ。ところで、自我は飽食、美食が大好きだ。しかし、命は粗食、少食を好むのだ。だから、苦難を逃れるには、食を慎めば良い。とりあえず、それだけ言っておこう。

「新世紀エヴァンゲリオン」で、シンジの有名なセリフは「逃げちゃダメだ!」であるが、イメージ世界のミサトは、「本当に嫌なら逃げていいのよ」と言う。
自我の嫌いなことは逃げちゃだめだが、命の嫌いは逃げなくてはならないということである。







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