マイケル・ジャクソンが、「楽器と同一化する」という話をしていたことがある。チェロを聴けば自分がチェロになり、ファゴットを聴けばファゴットになってしまうといったものである。
水樹奈々さんも、自伝「深愛」に書いていたが、彼女は幼い頃から演歌歌手になるための特訓をしてきたことから、なかなかロックが上手く歌えず、とにかく練習と、延々と歌い続けた時、自分が音楽になってしまったという神秘的な体験をしたそうだ。

このような、「1つになる」「融合する」体験は別に音楽に限らないのだが、確かに音楽にはそれを引き起こしやすいものがある。
音楽には、「隙間を埋める」働きがあるのだ。
例えば、簡単に出来ることで言えば、2人の仲の良い人達が、2人ともが好きな音楽を聴いていると、2人の心が溶け合い、あたかも2人で1人になってしまったような不思議なことが起こる。お互い、相手の考えていることは何でも分かってしまう。これは感動的な体験である。
本当は、別に2人に限らない。素晴らしい交響楽団の演奏では、会場の全ての人達、奏者も指揮者も聴客も、みんな一体になってしまうこともある。

音楽というのは、その音だけではなく、音が表現するものが精妙な波動となりし、それが、身体が発する波動、そして、心が発する波動を吸収し、全体で1つの波動にしてしまうのだろうと思う。
ただ、それは別に音楽に限らない。あらゆる優れた芸術にそんな働きがあるし、さらに言えば、芸術はそれを引き出すもので、力そのものは、我々の心の中にある。
そして、幸福というのは、そのように、ただ、一体となるということだ。

そして、我々は、自分自身の内にある、至高の意識と一体化した時が、究極の至福に達した時なのである。しかし、我々はそれと分離してしまっている。世間の信念と教義、そして、個人の欲望は、自分と他のものとの間に厚い壁を作ってしまうのだ。
世間を超え、不要な欲望を放棄することで、我々は自分を覆う壁を壊し、至福の根源に至る。
時には素晴らしい音楽を聴き、分離したものとの隙間を少しでも埋めてみると良い。興奮を呼び起こす刺激的な音楽より、古典的なものが良いと思う。美しい音楽に没頭すると、内にある安らぎの河を感じるに違いない。







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